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カテゴリ:クラシック音楽
下野竜也が指揮する定期演奏会クラスのコンサートでは、必ずと言っていいくらい一般的ではない曲目が組み入れられる。それを見て、あるいはサイトウキネンフェスティバルでの小澤征爾の代役といった活躍ぶりを見てこの指揮者にはひとかたならない興味を持っていた。また、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」は、札響の二代目常任指揮者だったペーター・シュバルツが好んで取り上げた曲。40年ぶりくらいに聴くが、どんな風にきこえるかという興味もあって行くことにした。
ブラームスの「ピアノ協奏曲第3番」は、バイオリン協奏曲をこの日の独奏者デヤン・ラツィッチがピアノ用に編曲したもの。オーケストラ部分はそのままでソロ部分だけアレンジし、カデンツァも自作したらしい。闊達なソロを含めておもしろいききものではあったが、第一楽章など原曲よりも聴取に集中を強いられる一方で冗長にも感じられる。中では第三楽章の編曲が最も成功していたように思うし曲想にもピアノが合っていた。ただ、作曲者自身が編曲したベートーヴェンのバイオリン協奏曲のピアノ版に比べると、「オーケスレーションが変」に聞こえるところがあり、おもしろいが、落ち着かないところがなくはない。 休憩後はブルックナー(スクロヴァチェフスキ編曲)のアダージョ。前半のブラームスでは残っていた堅さがとれて、札響の弦セクションの温かい響きを聴くことができた。 「画家マチス」は同名のオペラの音楽をオーケストラ用に編曲したもの。プレ・トークで下野竜也はブラームスだけが決まっていたので、全体を「編曲」もので構成することを考え、調性配置を考えてこういうプログラムになったと語っていたが、なるほどと納得できる。 演奏はオーケストラの自発性を尊重したもので、特に管楽器にその傾向が顕著。指揮者は要所だけおさえ、あとはソリストのように演奏してもらうというスタンスだったように思う。印象的だったのはトロンボーンセクションの充実。札響が一回り大きなオーケストラになったように感じるのはこのセクションのメンバー交代によると気づかされた。 もうひとつ印象的だったのは下野の解釈。神秘的な雰囲気よりも明るさが勝った解釈で、クライマックスの盛り上がりも熱狂的ではなく節度を保つ。最後の音をふわっと鳴らしたのはスコアにそう書いてあるからなのか、独自の解釈なのか興味深く感じた。録音ではただ派手に終わるようにしか聞き取れない演奏が多いと思うが、この終わり方の方が品がよく、音楽の余韻も深い。 空席が目立ったし、客層の高齢化は目を覆うばかりだ。若い観客をつかんでいるPMFとは対称的。同じオーケストラを同じホールの同じ席で聞き続ける、というのがクラシック音楽を深く理解する最良の方法であることを知る人が少ないということだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 4, 2012 05:27:19 PM
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