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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

December 13, 2012
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カテゴリ:読書日記
主義とか思想といったものほど凋落した価値はない。思想とか思想的にとかいった言葉はいまや否定的な意味でしかつかわれなくなった。

しかし人間は思想なしで生きてはいない。自覚していないだけで、誰でもがある特定の思想を選び取って生きている。

たとえば儒教思想。これはいまでも韓国や台湾では根強いが、日本でも西や南へ行くほど強くなる。つまり韓国や台湾に近いほど思想的にも近い。北海道には戸籍を無視して生きている人間も多いが、青森以南では皆無だ。

思想という言葉が否定的な響きをもつようになったのは、思想といえばファシズムや共産主義を連想させるものになってしまったからだろう。

しかし人間は思想なしでは生きていけないし、現に生きていない。日本人にはまわりと同じように生きることを選択している人が多いが、それも世間一般の常識的な価値観を自分の思想にしているだけだ。こういう人は、軍国主義の世の中になったら女なら銃後の母、男なら皇国兵士になるにちがいない。

さて、広大な森に迷いこんだときは、どうすればいいだろうか。

地図もコンパスもなければ、解決策はただ一つ。一つの方角を定めてその方向にのみ歩き続けることである。たとえその方角が間違っていたとしても、そうするのが唯一の正しいサバイバル術だ。

思想は、このとき選択した「方角」のようなものだ。人生を森のようなものだとすると、前に進むためにはどの方向へ行くかを決めなければならない。そのツールとなるのが思想であり、思想なしで人生は前に進まない。

わたしにとって自覚的に選びとった最初の思想はイギリスのジョン・ロックのそれだった。たまたま高校の倫理・社会の授業で研究発表を行わなくてはならなくなり、いろいろ読んで調べてみて、そのとき最もしっくりときたのがロックの思想だったのである。国家に対する個人の優越を説き、個人は、個人に対して国家が害悪であるときはそれを変更する権利、革命権や抵抗権を自然権として持っていると説き、アメリカ独立やフランス革命に大きな影響を与えたが、民主主義の三権分立論はロックがその祖と言ってもいい。

もう少し成長して人間の内面というか実存に関わる問題に関心が高まったとき、共感したのはインド哲学だった。インド哲学で強調されるのは「真理」である。真理という言葉もかのカルト宗教によってずいぶん価値を下げてしまったが、理屈だけでなく体験を重視するその思想には西洋の哲学とは根本的に異なる意義があると、いまでも思っている。

もう少し成長したときに強く共感したのは社会主義や共産主義である。1970年代、少しでも知的な人たちの間ではそれは当然の前提だった。ソ連や中国についてはそのころから批判していた人がほとんどだったが、社会主義や共産主義がダメなのではなく、どのような社会主義や共産主義がいいのか、と考える人が多かった。

貧乏人や弱者は助けあって生きよう。縮めていえば、社会主義や共産主義とはそういう思想だ。まともな人間なら選びとって当然だ。

しかしあらゆる自由を抑圧する現実の共産主義国や、共産主義を標榜する団体の独善性に気がついた人たちは、共産主義思想そのものに欠陥を見いだした。

ナニ主義であれ、集団や国家を個人の上におくような思想はダメだ。そこで注目したのは、フーリエやサン=シモンといった、マルクスが「空想的社会主義」と批判した思想的潮流である。この思想は生活協同組合運動やフェアトレード運動として現在でも世界中に一定の現実的な影響力をもっている。

しかし有機農産物の産直運動がどれだけ広がってもこの世界の矛盾を解決はしない。

「ひとりが万人のために、万人がひとりのために」といった協同組合運動の理想は美しいが、生まれつきの悪人もいるし、人間とは基本的に利己的な生物である。そのエゴイズムはどんな理想、どんな運動、どんな文化や芸術をもってしても消すことはできない。

国家の存在を前提に、その国家を社会福祉的なものにしていこうというのが社会主義、共産主義であり、しかしそれは独裁を生むだけだから国家そのものを解体すべきだというのが無政府共産主義、いわゆるアナーキズムである。

一方で、国家をできるだけ最小化していきその延長での無政府状態を目指す思想もある。それがリバタリアニズムであり、それを唱える人間をリバタリアンというが、こうして長い時間と社会的経験、さまざまな思想の検討を経て「いま現在の段階で」相対的に最も正しいと思っているのがこの思想だ。

資本家と労働者への階級分化が問題なら、すべての人が資本家になる社会になればいい。経済は市場にまかせるのが最も効率的であることは議論の余地なく証明されている。政府を最小化し、さらには無化することもできるのではないだろうか。無政府資本主義、アナルコ・キャピタリズムを唱える人たちがいるのを最近知ったが、リバタリアニズムは限りなくこれに近い。

そう思って、この分野の本を読みたいと思っていたときに出会ったのがこの本。著者は法学から経済学に転じた1967年生まれの人。自分を「リバタリアン」だと宣言しているが、リバタリアニズムの押しつけはなく、豊富な猟書体験を背景にハイエクからフリードマンにいたるリバタリアニズムのポイントを要領よく解説するだけでなく、プルードンや大杉栄などリバタリアンとかなり共通部分があるアナーキストに対する言及もあり、視野は狭くない。一方、医療や公的年金、農業ナショナリズムといった問題には正面からリバタリアンとしての切り口から明快に自説を主張していく。

ヒト、モノ、カネが自由に往来し、個人の自由が他者の権利を侵さない限り最大限に許容される社会。「少しだけアナルコ・キャピタリスト」であるという著者は、夜警国家から無政府にいたる道は断崖絶壁のように閉ざされていると指摘する。この視点は非常に重要であり、この断崖絶壁をどうするかが、たとえばマルクスが説いた「国家の廃絶」とも共通する。テーマと扱っている内容の豊富さから、新書であることもあって薄さを感じる部分も多いが、所属する国家を自動車保険の会社を選ぶように選んで変えていけるような未来を展望するといった目からウロコが落ちるような提案もある。

思想が人生の森をわたりきるためのツールだとするなら、「リバタリアニズム」はそのもっとも強力なツールのひとつではないだろうか。












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最終更新日  December 13, 2012 12:08:48 PM
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