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カテゴリ:WOODPROのこと
3年くらい前に、絵図屋の部家さんに書いてもらった、倉庫のガラスの文字もだんだんとかすれてきました。 塗装の定着、乾燥をテストするために「ガラステスト」というものがあるようですが、ガラスには塗料が染込むことがない上つるつるしているので、ロッククライマーが拠り所の少ない岩場に必死にしがみついている、という感じなのかもしれません。 少々かすれていますが、「WOODPRO SINCE 1987」と書いてあります。 1987年というのは、WOODPROの前身である「住建リース」という会社ができた年。 現社長の先代の時代です。 そのとき、私はこの会社にはいませんでした。 1987年といえば、昭和62年。 私自身は社会に出て3年目で、営業マンとして横浜営業所に勤務していました。 そしてまた、私自身が結婚した年でもあります。 会社設立当時、社名にもあるとおり、住建産業(現ウッドワン)の、足場板リース部門として発足しました。 当時、住建産業では「長尺合板足場板」というものを作っており、そのリースを行なうためのものでしたが、合板足場板そのものが西日本では受け入れられず、結局、杉足場板のリース業へと変化し、住建産業の子会社である必要もなくなり、その後完全独立。 社名はそのまま残して、リース業と並行して、宮崎県日向市に工場を新設して「焼き杉」の製造販売をいました。 その工場が平成9年の耳川氾濫によって水没。 工場設備と在庫が壊滅的な被害を受け、事業の存続そのものが困難な状況に。 この時、現在お社長の中本は、住建産業をやめて住建リースに移ってきたばかり。 「跡取り」として会社を変わった直後お災難です。 その時、私はまだ住建産業にいました。 宮崎の工場には40人の社員が働いていましたし、地元からは強く事業の存続を望まれたようです。 しかし、既に工場建設のための借り入れがあり、さらに投資して事業を継続しても「焼き杉」そのものに将来性がないと判断。 結局、宮崎の工場は閉鎖し、従業員は全員解雇、会社の規模は一気に縮小して、もとのリース業のみに逆戻りしました。 被災、大量解雇、借金は抱えたままで事業が縮小し、税金の減免処置というのはあったものの、そんな厳しい状況から現社長の二代目人生が始まりました。 それから1年後の平成10年。 働いていた住建産業を思うところあって退職して、暇になったので本棚でも作ろうと材料の相談をしたのが、住建産業時代の先輩であった社長でした。 「うちに来ない?」と本棚用の足場板を磨くのを手伝ってもらいながら誘われたので、今こうしてここでブログなんぞ書いてます。 そこからもう13年。 会社の創業から26年ですから、丁度会社の歴史の半分には関わらせていただいたことになります。 時間は過ぎ去るものではなく、積み重なっていくもの。 バタバタと忙しくしているうちに、いつの間にか時間を積み重ねて今に至ります。 これからもしっかりと積み重なっていくような密度の高い時間を重ねて生きたいと思う、今日この頃です。 本日もご訪問ありがとうございました。 写真は倉庫の窓に映った、夕焼けです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/10/07 07:59:29 AM
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