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Jan 31, 2009
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カテゴリ:直江兼続
 

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        「上杉景勝と兼続の最後の合戦」(八)

 慶長十九年十一月二十四日、上杉勢が粛々と出陣した。

 先鋒は須田大炊介、彼は慶長五年八月九日に白石城を突然襲った伊達

政宗の二万の大軍を、三千の兵で守っていた梁川城で見事に撃退した勇将

であった。その時は若干、二十一才であった。

 それに後続し安田上総介、長尾権四郎、岩井備中守など上杉の誇る武将が

続々と出撃した。その中に杉原常陸介の率いる鉄砲隊が異彩を放っている。

 直江兼続が精力をこめた大筒隊も行軍している。

 先陣には上杉家の軍旗、毘と龍がひらめき、軍馬の嘶(いなな)きと甲冑の音

が聞こえるのみで、無言の将兵が闘士を秘めて景勝の前を行軍している。

 それを見つめる景勝の面上に、満足の色が刷かれている。

 謙信公以来、連綿と伝わった上杉勢の陣形には些かも乱れがない。

 一方、豊臣方は大和川の堤に堀を深くうがち、三重に柵を設け、鉄砲隊を

配置していた。守将は渡辺内蔵助、小早川左兵衛、山市左衛門、岡村椿之

助、竹田兵衛等であった。

 上杉勢は鴫野口に竹束でもって攻撃拠点を築いた。

 敵勢は前線に近づく上杉勢を、鉄砲隊でつるべ撃ちにしたが、それをものとも

せずに排除し、二十五日には攻撃拠点を確保した。

 この日徳川軍は春日井の堤を崩し中津川に押し流し、天満川の水を枯らし

た。 「兼続、総攻撃は明日じゃな」

 本営で情勢を眺めている景勝が兼続に訊ねた。

「左様、敵勢も必死なれど我等はこの堤を猛進いたし敵の柵門を破ります」

 夜になって双方の、探りの鉄砲の音が響いている。

 篝火が真昼のように焚かれ、火の粉が風に煽られ散っている。

 景勝は本営の幔幕の中で、沢庵を肴に豪快に酒をあおっている。

 敵の柵門から銃声が轟き、幔幕の中にも銃弾が飛び込んでくる。

 本営の警護の旗本が、景勝の身の廻りを固める。

「構わぬ。銃弾に当たって死ぬ景勝ではない」 と一蹴し酒を飲み続けていた。

 翌日の払暁から合戦が始まった。今福、鴫野の合戦は大阪冬の陣の最大の

激戦となった。豊臣方は三重の柵から猛烈に防戦を始めた。

 上杉勢の指揮は直江兼続であった。

 大和川の堤を上杉勢は猛進し、敵勢を鎧袖一触で追い払い大筒でもって敵

の柵門を二重まで押し破り、鉄砲隊を大和川から渡河させ西の堤防を確保し

た。喚声と怒号、それに悲鳴が交差し凄まじい様相となった。

 兼続は西の堤防に柵を築き味方の陣地を構築した。

 上杉勢の攻撃を合図に、天満北岸の今福の佐竹勢も戦闘に入った。

 味方の劣勢をみた豊臣方は、大阪城内から後藤又兵衛と木村重成が大軍を

率いて出戦した。双方の鉄砲隊が激突した。

 須田大炊介が猛烈果敢に後藤又兵衛を迎え撃って突き入れた。

 この攻撃を受け、さしもの後藤又兵衛も鴫野口から追われた。

 後藤又兵衛は兵を部署し、鴫野口より木村重成の応援に向かい今福へと

転戦した。その煽りをうけ佐竹勢が浮き足たった。

 佐竹義宣も戦国生き残りの将であったが、後藤又兵衛の攻撃に耐えかね、

上杉の本営に救援の急使を走らせた。

 兼続は杉原常陸介の鉄砲隊に救援を命じた。

 杉原常陸介の鉄砲隊が喚き声をあげ突貫し、後藤又兵衛の軍勢の横合い

から、猛射を浴びせた。これに驚いた後藤又兵衛と木村重成の豊臣勢は総崩

れとなった。その時、銃弾が後藤又兵衛の左腕を貫いた。

「後藤殿、傷はいかに?」  木村重成が顔色を変えて訊ねた。

 又兵衛は懐紙で血の滴る腕を押さえ、

「秀頼公の御運はまだ尽き候らわず、傷は浅手なり」 と平然と答えた云う。

 流石は戦国生き残りの又兵衛だけある、彼はその意地を見せ付けたのだ。

 これをみた大阪城から、大野修理亮治長、竹田永翁(えいおう)、木村主計

などが一万二千名の新手を率い鴫野口に軍勢を繰り出した。

 これには上杉勢も押された。この急場を支えた武将が須田大炊介であつた

が、大軍の前に押されぎみとなった。

 豊臣勢はその勢いで景勝の本営まで雪崩こんだ。

 直江兼続が愛の前立を煌かせ馳せ散じ、崩れかかる須田勢を二つに割っ

た。それを見た豊臣勢が勢いづいて襲いかかってきた。

 兼続の采配が振られ、杉原常陸介の鉄砲隊が一斉に火蓋をきった。

 その攻撃に驚いた豊臣勢に安田上総守の手勢、一千名が槍を揃いて突きか

かった。その勢いに大野修理亮の率いる大軍が総崩れとなった。

 見逃さず総攻撃の法螺貝が鳴り渡った、大阪方は一気に潰走し数百名が

討死したと云われる。その時、大阪城から大筒が撃ち放たれ、その轟音が

家康の本陣まで達した。家康は佐久間将監と久世三右衛門の軍監を景勝の

本営に差し向けた。

「御働きご苦労にござる。お味方の損傷も大きかろう、景勝殿はもとの陣に

お戻りあって、後は堀尾山城守に護らせたらいかがじゃ」

 と家康の口上を伝えた。それを聞いた景勝は憤然となった。

 彼は兜を深く被り、手に青竹をもって盛んに兵に指揮をしていた。

「弓矢の道は一寸増しと云うことあり、今朝より粉骨砕身して取り敷きたる

敵地を、他人に渡すということなるべきや。両御所の仰せなりとも、決して

離すべからず。景勝がかく申してこの場を一寸も退かずと、両御所へ聞こえ

上げ下され」 と答え床几から腰もあげようとしなかった。

 景勝はすたれ行く戦国武将の気骨を示したのだ。

 この日の戦闘は払暁より始まり、終日治まることはなかった。

 景勝は床几に腰を据え、青竹を持って敵城を睨み、わき目もふらず、全軍を

指揮した。敵味方はそんな景勝に軍神と言われた上杉謙信の姿を見たという。

 翌日、家康と将軍秀忠が、鴫野口に巡視に現われた。

 上杉勢は古例に則って、大阪城に向かって鉄砲をつるべ撃ちにした。

 その後、景勝は直江兼続一人を従え、家康の前に蹲踞(そんきょ)した。

 家康が会釈をして、 「昨日の奮戦、骨折りであった」 と慰労した。

 景勝は臆することも衒(てら)う様子もなく嘯いたと云う。

「あのような合戦は、児戯の喧嘩のようなものにござる」

 戦いのみに生きてきた景勝主従は、死命を決する戦国の世が終ったことは

実感していたのだ。

 翌年の元和元年の冬の陣には、京都守護を命じられ参戦できなかった。

 こうして景勝と兼続の最後の合戦は終ったのだ。    (完)






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Last updated  Jan 31, 2009 03:04:07 PM
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