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Oct 2, 2013
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「小栗上野介忠順」(101)


 彼等、士官も幕府の大臣が駆け付け、激励してくれた事に感激していた。

 上野介と安芸守は彼等一人一人と握手をし事後のことを頼み、一人の男

を彼等に紹介した。

 その人物はやや小太りの体躯をした髭跡の濃い精悍な顔付の男であった。

 彼は五人の士官に歓迎の意を現した。この人物が大鳥圭介であった。

 大鳥は上野介の推挙で歩兵指図役頭取と成って、横浜の太田村にある、

仏式操練所で砲術の実習を行っていた。

 更に幕府振興派の一人とし、上野介の意を汲み兵制改革に没頭していた。

「大鳥圭介です。遠路ご苦労に存ずる」

 彼はシャノアン少佐と真っ先に握手をし、次いで砲兵大尉のブリューネと

力強い握手をした。

「拙者は砲術専門で学んでまいった、是非、最新式の砲術を教えて下され」

 ブリューネ大尉に特別に語りかけた、数か月後、二人は国境を越え友人と

成るのであった。

 上野介と安芸守はその様子を眺め満足した。

「剛さん、やっと辿りつきましたな」

「うむ、漸く幕軍の改革が始まるよ」

 上野介が感無量の声で答え、大鳥圭介に声を掛けた。

「大鳥君、五人の方々を宿舎に案内して下され、君は幕軍再建の責任者です。

確りと学んで下されよ」

 大鳥圭介は無言で頭を下げた、彼は全面的に上野介を信頼していた。

 幕軍の再建は上野介が居なくては不可能と思っている。

 日頃の上野介の業績を目の当たりにするほど、彼の施策の一つ一つが斬新

に見えてくる。周囲の意向など全く意に介さず、思うところを実行する上野介に

心酔していたのだ。

 騎馬で去って行く後姿を眺め、大鳥圭介は軍事教練団の一行を宿舎に案内

した。本格的な教練が始まったのは、樹木の葉が青々と繁った季節であった。

 大鳥は五人の士官と話し合い、仏語学校の生徒は全て将校に任じた。

 彼等は旗本の子弟で大部分が十代の少年であったが、幕軍再建の先駆け

と知り、眼を輝かせ参加していた。何時の世でも少年達は純粋であった。

 彼等はそれぞれ各隊に配属され、通訳を兼ねて訓練に明け暮れる事に

なった。最初、服装は自弁の為にまちまちであったが、将校と兵士の区別が

つかず、大いに困り、陣笠に階級を示す筋を入れることにした。

 筋は五本から一本までとし、五本の筋の入った陣笠の主は連隊長を示す

高級士官とし、階級が下がるにつれ筋が減じることで軍事組織が機能出来る

ように工夫をこらした。

 大小の刀は訓練が始まると差すことを止めた。銃を携行しての匍匐前進に

刀が邪魔と成ったのだ。これにはいろいろと軋轢があったが全員が賛同した。

 特に砲兵等は砲車に大小が引っかかって具合が悪く命令で廃止した。

 刀は武士の魂と信じていた、この時代には珍しい出来事であった。

 これは洋式の軍事教練を体感し、その威力を知ったことが大きかったのだ。

 教練時に砲兵大尉のブリューネが、全隊士の度胆を抜く離れ業を披露した。

 彼は二門の砲を一人で操作し、次々と二ヵ所の保塁に砲を発射させ、見事

に全弾命中させて見せたのだ。

 こうした彼等の力量と熱意で幕軍は近代の軍事組織へと変貌していた。

 ブリューネには特別な才能があった、彼は仏式の制服、制帽をデザインし、

生地は将校はラシャ、兵士は小倉とし、袖章、肩章は黄色の打紐を金モール

の代用とした。こうして着々と兵制改革が進み始めていた。

 そうこうしているうちに横浜の教練場は狭くなり、江戸の三崎町に教練場が

新しく作られた。教練団一行は講武所跡に住み込んで教練にあたった。

 こうした情勢の中で大鳥圭介は上野介の了解を得て、伝習隊の創設を手掛

け始めたのだ。彼の構想の根幹には長州藩の奇兵隊があった。

 彼は新兵の募集を始めた。浪人、町人、農民や博徒なども参加させた。

そんななかには浮浪者も雑じっていたが、大鳥は幕軍の教練に組み入れ

一緒に訓練をさせたのだ。


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Last updated  Oct 2, 2013 08:29:42 PM
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