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Dec 3, 2014
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「変貌する戦国乱世」(80章)


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         (武田家内紛の序章)

 この永禄七年は波乱を予感させる年となった。一月には関東の北条氏康は

下総(しもふさ)で里見義広(よしひろ)、太田康資(やすすけ)、大田資正の

連合軍と国府台で戦い、有力武将と多くの兵士を失いながらも大勝した。

 里見氏は上杉輝虎と連携し、北条勢の房総進攻を阻む最大の敵であった。

 この勝利で北条家の領土は相模、伊豆、武蔵の旧領に加え、東上野、下総、

上総の北部まで拡大し、旧領に倍する領土を支配下においた。

 これは北関東へ進攻する足がかりであった。

 それに対し上杉輝虎はすかさず下野(しもつけ)に大軍を発し、佐野城を

瞬く間に攻略し、色部勝長(しきべかつなが)を城代として守りを固めた。

 流石は音に聞こえた上杉輝虎、率いる越後勢の強さと強かさであった。

 一方、武田信玄と北条氏康の関係は良好であった。

 信玄は関東の西上野の支配のみを望んでいたが、氏康の考えは関八州を

支配しょうとの思惑があった。

 これにより両家は連合し上杉輝虎に対抗していたのだ。

 ようするに西上野は武田家が支配し、その他の関東は北条家が領有する。

 そうした基本方針が明確となっていたのだ。
 

 何故、信玄は西上野を重視したのか、それは信玄の深慮な考えであった。

 関東の肥沃の土地も欲しいが、武田家の真の狙いは上洛にあり、それを阻止

する武将が、越後の上杉輝虎であった。

 武田家が上洛を開始すれば、直ぐに越後勢が信濃に攻め込むことは冷徹な

事実である。それを防ぐ手立てが西上野を武田が領し安泰とする必要があった。

 西上野は越後の要衝の三国峠に最も近い場所にあったのだ。

 越後勢が武田家の領土に侵攻する動きを示したら、直ちに西上野から

軍勢を発し、三国峠から越後本国に攻め込む。これが信玄の策であった。

 こうして武田、上杉、北条が三すくみの状況に置かれていたのだ。

 そうした中で岡崎の松平家康に目を転ずると、彼は一向一揆を鎮圧し、

本格的に三河攻略をはじめた。

 六月に三河と遠江の国境に位置する、今川家の吉田城攻略戦を開始した。

 この地は南に渥美半島、東に浜名湖を臨む要衝の地で、流石の氏真も座視

できず、一万余の大軍を擁し出陣した。

 更に信虎にも出陣の要請を乞い、五千の軍勢を与え家康の押さえとしたが、

信虎は二千名の松平勢の進撃に、攻撃をするでもなく見送ってしまったのだ。

「馬鹿馬鹿しい、このような戦が出来るか」  

 これが信虎の本音である。

 これに疑心暗鬼した今川氏真は、行軍の途中から駿府城に逃げ帰ったのだ。

 まさに将器なき情けない男であった。

「甲斐の古狸、今川家に弓を引くのか」

 しかし氏真も重臣の一部も、信虎を見る目がこの一事で変わった。

 このような空気が漂う駿府城を見透かすように、松平勢の侵攻は止まらず。

 六月から激戦を繰り返していた今川家の吉田城(豊橋)が、松平の猛将、酒井

忠次(ただつぐ)前に降伏開城した。

 守将の小原鎮実(しずざね)は、酒井忠次の娘を人質として城を明け渡した。

 まことに奇妙な戦いである。勝った松平家が人質を出すなどは考えられない

事であるが、家康は早い三河全土の安定を望んだのかも知れない。

 今川家は遠江を守ることに重点をおいた、政治的な決着なのであろうか。

 虚々実々の駆引きの時代、松平家康は着実に乗り切っていた。

 こうして松平家康は三河支配を強化していたのだ。

 一方、尾張の織田信長も急激な勃興期を迎えていた。尾張の当面の敵は

美濃の斎藤家であり、信長は執拗に出兵を繰りえしていた。

 信長の武名は朝廷まで聞こえ、朝廷の御所の修理を命ずる正親町(おうぎまち)

天皇の勅使として内裏(だいり)、立入宗継(たていりむねつぐ)が十月に尾張を

訪れた。これにより美濃攻略戦に弾みがついた。

 こうした世情の中、駿府城に帰還した信虎は氏真や今川家の重臣達に異心を

疑われ、針の筵に座った心地で過ごしていた。

 だが彼の謀略はいっこうに衰えず、瀬名駿河守、関口兵部、葛山備中守等と

密会をかさねていた。

「吉田城救援のさいの氏真殿の醜態をご覧なされたか?」

 信虎の問いを静止し、瀬名駿河守が厳しい声を挙げた。
 

 「信虎さま、なにゆえに松平勢を見逃しましたぞ」 

「老人のわし一人で戦えと申されるか?」  

 信虎のしわ深い瞼が見開かれ、往年の気迫が湧き上がった。

「五千の大軍を擁されていた筈じゃ」

「ふん、戦う気概もない武将や兵等と三河衆に立ち向かい何ができ申す」

 信虎が三人の重臣等に視線を這わせた。

「いかにも至極、御大将の御屋形があの様では合戦には成りませぬな」

 葛山備中守が信虎のかたをもった、その一言で二人は口を閉ざした。

 彼等の思いも同じであった。こうして内乱の密計が秘かに進められていた。

 この策謀が洩れたのだ、かねてから信虎の行動に疑心を抱いていた重臣の

庵原安房守(いわらあわのもり)の家臣が、信虎が信玄に送ろうと書き留めて

おいた密書を手に入れたのだ。

 幸いにも加担する三名の重臣の名は記されていなかったが、驚いた安房守は

書状を氏真の許に差しだした。

 一読した氏真は顔面蒼白となり、身を震わせ怒声を張りあげた。

「余の爺殿じゃが許せぬ。ひっ捕らえて余の前に連れて参れ」  

 仰天した氏真が信虎捕縛の命令を発したのだ。

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Last updated  Dec 3, 2014 02:08:20 PM
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