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テーマ:プロ野球全般。(13223)
カテゴリ:野球
ノムさん、南海に帰る――。プロ野球の南海ホークス(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王に輝き、ヤクルトや楽天で監督を務め、2月に亡くなった野村克也さん(享年84)の遺品などが、大阪・難波のなんばパークスにある「南海ホークスメモリアルギャラリー」に展示されることが4日、発表された。
南海OBで、現役時代に野村さんとバッテリーを組んだ江本孟紀さんが発起人となった。なんばパークスは南海の本拠地だった大阪球場跡地。この日、江本さんと南海電鉄の和田真治・執行役員らが大阪市内で記者会見し、「おかえり!ノムさん 大阪球場に。」と銘打ったギャラリーのリニューアル計画を発表した。 江本さんは「野村さんは名将という印象が強いが、王さん、長嶋さん、張本さんと並ぶスーパースター。その現役時代を送ったのが南海ホークス。それを野球ファンの皆さんにもう一度認識してほしかった」と思いを話した。 (中略) 今回江本さんが遺族の承諾、南海電鉄の協力を得て、「ホークスを彩った名選手」パネルに野村さんの名前を残したり、コレクション展示ケースを増設したりする運びとなった。ギャラリーのリニューアル費用はクラウドファンディングで支援を募る。43年ぶりに、野村克也が南海に帰ってくる。【朝日新聞digitalから引用】 大阪・難波のなんばパークスにある「南海ホークスメモリアルギャラリー」には、1977年に解任されて以来、元からいなかったような形になっている野村克也さんのことについては、このブログでもとりあげました。これは、解任に至る経緯が野村氏側、南海側の言い分があったのでしょうけど、1950年代から70年代にかけてパ・リーグの強豪チームを支えてきたのは、野村さんの功績が大きかったと思っています。ただ、「南海ホークスメモリアルギャラリー」を整備するときに野村さんにも声をかけたそうですが、その解任の経緯を嫌ってか名前すら載せない(一説ではあの猛妻が強硬に反対したらしい)し、野村さんが元気なうちに一切の展示がなされなかったことは本当に残念でした。 でも、時は流れてようやく野村さんの功績を入れた本当の意味でのメモリアルギャラリーが整備されることになったのは、かつての南海ファンを安堵させるものになったのではないかと思います。そこには、南海ホークスとして最後のリーグ優勝を飾った時のエース、江本さんの声掛けが大きかったのではないかと思います。また、野村さんの長男、克則氏もそれに応じてくれたということも大きかったと思います。 どんな形で展示されるのか全容はわかりませんが、戦後初の三冠王、ホークスとして初めての2000本安打をはじめとしてパ・リーグを代表する強打者としての記録や資料などが展示されることを期待しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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