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カテゴリ:旅行(日帰り含む)
先日、堺へ仕事へ行って時間があったのでちょっと寄り道してみました。場所は、大浜公園です。大浜公園は、1876年に幕末期の砲台跡を中心に近代公園として開設されたのがスタートだそうです。
昔は水族館や動物園、遊園地があったそうです。また、料理旅館や温泉もあって、夏場には海水浴場も開設されるなど一大レジャーランドのような感じだったのかもしれませんね。さらには、路面電車ですが鉄道も乗り入れていて利便性が高かったようです。 そんな大浜公園ですが、太平洋戦争に加えて1934年の室戸台風や1961年の第二室戸台風で大きな被害を受けて水族館や動物園は閉鎖・縮小されてしまったようです。また、堺泉北臨海工業地帯造成のために大浜公園周辺が大きく様変わりしてしまいました。その面影を残すところは少なくなっていますが、旧堺灯台などが整備されて現在に至っています。 大浜公園はこのようなレイアウトになっています。△印のところから歩いて行きます。有料駐車場も完備されています。〇印にある旧堺灯台を目指します。ちなみに、水色の矢印は阪神高速湾岸線です。こんな位置関係になっているのですね。湾岸線はよくとおりますけど、大浜公園は気づいていませんでした。 大浜公園内にはかつては動物園があったことは書きましたが、サルだけは今でも残っています。小さな子どもには人気があるのかも。 大浜公園内には体育館や野球場もあるのですが、珍しいところでは相撲場もあるんです。大相撲の巡業で使われているかどうかはわかりませんが、本格的な相撲場のようです。 ようやく先の案内図の〇印の旧堺灯台に到着しました。 この灯台は1877年に完成した木造六角形の灯台で、日本最古の木造灯台とのこと。1968年まで使われていたそうですけど、前出の堺泉北臨海工業地帯整備に伴い廃止されたようです。 中へ入ることはできませんし、これ以上近づくこともできないのですが、古き良き時代のデザインですよね。2005年から2007年にかけて大規模な改修が行われて、このようなきれいな姿になっています。 ちなみに、堺市の原チャリのご当地ナンバープレートには、この旧堺灯台がデザインされるなど堺市を象徴するデザインとなっています。 この灯台の向かい側には、パーティクルボードを製造している日本ノボパン工業の堺工場があって、同社の岸壁側には南蛮貿易で栄えたころの堺の様子が壁画として描かれています。 さて、大浜公園へはかなり以前に草野球の試合でいったことがあるのですが、こうして旧堺灯台などへ行くのは初めてでした。25年も堺市民として住んでいたのに、もっと行ってみたらよかったなぁってね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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MoMo太郎009さん、いつもありがとうございます。
堺市はその昔、鉄砲の伝来や南蛮貿易、環濠都市など日本の歴史の教科書に出てくるようなところなんですよ。 堺市に25年以上住んでいたのに、話には聞いたことがあってもこれまでは行ったことがないところがあるので、機会を作って行ってみようと思っています。 (2021年10月23日 22時30分39秒) |