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テーマ:暮らしを楽しむ(388862)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
ものが多い家の中で暮らしていた頃は。
わたしはいつも機嫌が悪くて、 けれども、 それを隠して「機嫌の良いふり」をしていました。 機嫌の良いふりを維持するために、 あんなにたくさんの服やモノが必要だったのかもしれません。 あとね、すごく、ものすごく気をつかっていました。 たとえそれが「ズレた気づかい」「無駄な気づかい」なのだとしても、 素を出して衝突したり、嫌われることがとにかく怖いから、 素の自分には価値がなく、 素のままでは嫌われてしまうと思っているから、 家族に対して、 他人以上に気をつかわずにはいられなかったのです。 (わたしは自分の親に対してもそうだったように思います。) 自分が親になってからは、 良い母親ぶっていたけれど、また大人ぶっていたけれど、 中身はとても幼稚だったんですね。 なんか、幼稚なだけに・・・「ごっこ」? あれは まるで・・・ 「家族ごっこ」 (;_;)? 「幼児性を削っていって大人になっていく作業の場所として、 結婚があり、家庭が存在するのです。」 結婚26年目。 これは、紛うことなき真実だと感じます。 わたしばっかり気をつかってる、というような自己犠牲感と、 それに付随する強烈な被害者意識と、 くすぶる怒りや苛立ちや焦りや、 わかってくれ!という不満や、 口に出せない本当の気持ちや、悲しみや、 どうにもならない幼児性を必死に押し殺しながら、 いつも「機嫌の良い大人のふり」をしていました。 大人だからと、母親なのだから、としっかりしているふりをすること自体、 そんな猿芝居が通用すると思っていること自体・・・ ものすごく「幼稚」だった、ということ、 なのかな (;_;)
家庭というのは、 ストレスを発散する場所なのではなく、成長をするための場所。 そこを間違えて、甘えきってしまうと、 幼稚なままでいると、どうなってしまうのかというと。 家族も、周りも、自分のことも、 誰のことも幸せにすることができないのだと思います。 相手側にも同じように気をつかわせたり無理をさせることとなり、 (相手にも「幸せそうな仮面」を強要することになり) もともと家族に何かしらの潜在的な問題があれば、 それが 水面下で どんどん大きくなります。 どんどん どんどん 生きにくくなって、不幸になって、 「気づけ!!」とばかりに、 関係性の歪み(ひずみ)を知らせるような、 テコ入れのようなキツい出来事が・・・ やがて、必ず起こります。 ************************************ わたしたちは、今、良い夫婦、なのだろうか。 それは、わからないです。 ただ、かつてのような「機嫌の良いふり」ではなくて、 わたしも、おとーさんも、いつも自分らしくいられて、 自然な感情を大切にしながら、心から笑うことができて、 何か衝突しそうな時にも「不機嫌な態度」「イライラ」ではなく、 たとえどんなに不器用でも「言葉」で伝え合うことができて、 ゆうべはね、 遠征中の家族からのとっても嬉しい知らせがあって、 おとーさんと一緒に大拍手しながら、 わたくしは嬉しくてちょっと泣いてしまったのですが、 長い年月の中で、どんなにいろんなことがあったとしても、 気持ちがすれ違ったり、 しんどいことがあったとしても、 一緒に呑んだ今宵のビールがこんなに美味しいのなら・・・ もう、それが全てなのではないかな、と思ったのです。 目の前の現象に、 「幸せだ」とか「不幸せだ」という色をつけているのは いつも わたしだ。 傍目に「良い夫婦」かどうかはわからなくても、 そんなことは 本当はどうだって良くて、 こんな1日は、長いようで短い人生の中の・・・ 本当にうれしくて、最高な、素晴らしい日。 ああ、生きていてよかった、 生まれてきてよかった、と思える日。
今は苦しくても頑張れ。 諦めず、1日1日生きて、ここまで来い。 あなたなら大丈夫!! と。 9歳のわたしに、15歳のわたしに、18歳のわたしに、 29歳のわたしに、36歳のわたしに、 そして44歳のわたしに、届いても、届かなくてもいいから、 そんな言葉を送りたくなる・・・そんな日。 この年齢は、わたしが死にたくなったことのある年齢、なのです。 たくさんあって、本当に恥ずかしい告白なのですけれど、 そのときそのときは、 本当に命に対し、ご先祖さまに対し罰当たりなのだけれど、 そう思ってしまったの。 懸命に生きていたなら、きっと、 人としての感受性を持っていたならきっと、 どなたさまにも、そんなことって・・・ あるのではないかな。 **************************************** あのときのあなたが生きてくれたから、 今、わたしは生きている。 頑張ったわたし、ありがとう。 支えてくれた人、ありがとう。 おとーさん53歳。 わたし50歳。 いい夫婦って、 今お互いが生きていることに感謝できる夫婦、なのかもしれません。 何をしてくれた、とか そういうことではなくて、 ただ「あなたが生きている」ということ。 やがてどちらかが亡くなってしまった後にも、 今回の人生で出会えたことや、 笑って泣いて一緒に暮らしたことや、 あなたがこの世に生まれて「生きていてくれたこと」に、 そしてわたしを選んでくれたことに、感謝できる夫婦? まだわからないですけれど ( ´▽`) 静かな雨音が耳にとても心地よい・・・ そんな、2021年の「いい夫婦の日」です。 おわり ↓ 今日もお読みくださってありがとう。いつもポチッとしてくれてありがとう にほんブログ村 ことしのスワッグが、いい夫婦の日に届きました。 次回はスワッグのあるリビングのお話・・・たくさんお届けできる予定です ( ´▽`)ノ フォローをしてくださっている1327名ものみなさま・・・ 更新を楽しみに待っていて下さること、とてもうれしいです。 いつもありがとう : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.11.23 15:10:26
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