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テーマ:暮らしを楽しむ(388183)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
次の扉が、ひらいたのかもしれない。
人生になんらかの転機がおとずれるとして。 果たしてどこが転機だったのか、 何がきっかけだったのか、って その時にはわからないことが多いですね。 あるとき、ふと振り返って、気づく。 「ああ、あれがきっかけだったのかもしれない」という、何か。
辛い気持ちを打ち明けた時。 「あなたより辛い人はたくさんいる!」って。 なんかもう、反射的に言う人って。 思うに、まず、弱音を吐かれることが嫌、なんでしょうね。 それは多分、 自分は弱音なんて吐かなかった。 いや、吐きたくても吐かせてもらえなかった。 だから我慢しろや。 お前も、な! と、いうような。 弱音くらい、吐かせたげてー ( ;∀;) それに、 「あなたより辛い人はたくさんいる」の「たくさん」は。 「みんなそう言ってる」の「みんな」と同じ使われ方の、 発言に対する責任逃れをするための「たくさん」で。 たくさん、と言いながら、 実際には「自分がそうだった!」のでしょう。 自分自身の悲しみの、古傷の痛みの、 そういう「極めて個人的な怒りの発露」なのでありましょう。 目の前のその人には、さ。 あなたのその遠い昔の怒りや、 癒やされないままの悲しみや悔しさに対し、 なんの責任もないのに、ね。 (まだ生まれてもないことだってあるのに、ね。) そう思うと、本当「いや知らんがな」ですし、 そんなお門違いな怒りぶつけられて、もはや災難でしかない。 だから、 「知らんがな!」と思えたなら、本当に素晴らしい。 さらには「知らんがな!」と、 そんな相手に面と向かって言えちゃったなら・・・ 超・かっこよ!! ( ;∀;) DJあおいさん曰く、ね。 「あなたより辛い人はたくさんいる」と言われて危ないのは、だから。 「ではもっと頑張らなければ」と思ってしまう人の方、 なのだそうです。
「世界一辛い思いをしている人」が、チャンピオン。 「世界一辛い思いをしている人」が、優勝。 優勝なんてできるわけないし、誰が決めるの? だし その前に力尽きるし、 そもそも、そんな苦労マウント大会で優勝したところで 得られるものなど何もないし、 だから目指さなくて全然いいはずなんだけれど、 「あなたより辛い人はたくさんいる!!」 そういう言い方をする人って・・・ 世の中には、すごく、すごく「たくさん」いる。 その言葉って、 で、結局何が言いたいのかと考えますと、 「あなたより辛い人はたくさんいる」 ↓ 「だから今お前の感じている辛さなど、クソ」 そう言いたいのに ほかならず・・・ はっきりそう言ってしまって「酷い!」「人でなし!」って思われるのは嫌だから 悪者になるのは嫌だから、 「あなたより辛い人はたくさんいる」(本音:お前など甘いわ) 「みんなもっと辛くても頑張ってる」(本音:だからそのくらい耐えろや) みたいに、励ます体を気取って言うのでしょう。 辛い気持ちを打ち明けている人のことを上から馬鹿にし、 その人の感情を侮辱してるってこと。 そんな風に、 目の前の傷ついてる人をさらに傷つけることで、 これ幸いとばかりに 過去の自分の鬱憤を晴らすのだとれば・・・ 目の前の人があまりにもかわいそうすぎるし、 甘えてるのは本当はどっちだよ、という話だし、 絶対に軽々しくいっちゃいけない言葉なんだなあ、って あらためて、そう思うのです。 ホワイトデーの時期のお楽しみ。 期間限定の「ストロベリーチョコレートケーキ」 ( ´▽`) ************************************ 最近ね、自転車乗るのを減らして、なるべく歩いているのです。 「歩く」というスピードは、 自転車では見過ごしてしまいそうな「春の訪れ」を、 そこかしこに見つけることができますね。 次の扉がひらいたのかもしれない。 そう感じるようなできごとが、 春分の日を控えたこの時期、 どなたさまにも、とても起こりやすいのだそうです。 あなたさまにも、何か、起こりましたか? これから起こりそうですか? ********************************* 「辛い」も、ね。 そしてきっと多分「嫌い」も、ね。 辛いながらも、嫌いながらも、その感情ともしも向き合っていられるのならば、 それはもしかすると「セーフ」で。 「まだ修復が間に合うかもしれない」で。 本当に無理だ、という臨界点を超えると、 もう、それ(その人)について、考えることもできなくなる。 無気力になる。 考えなければと思っても、 脳が痺れたようになって、思考が全く回らない。 もう、それについて一切何も考えられない。 記憶から消し去りたい。 そして叶うなら、相手の記憶からも消えてしまいたい。 そんな境地に至るのだ、ということを知りました。 自分がしなければ。 関わらなければ。 役に立ち、そして結果を出さなければ。 喜ばれなければ、認められなければ、 そして、もっと辛い人はたくさんいるんだから 弱音を吐くことなく、もっと、もっと、もっと頑張らなければ、という・・・ そういうあらゆる緊張感から解放されるための、 心が壊れてしまわないための、 これが人間の脳の「最終手段」なのかな、ということも。 その相手がたとえ「親」であっても。 いえ、「親」だからこそ。 期間限定の「ストロベリーミルクレープ」は、いちご1パック一気に食べたような満足感です! *********************************** 人生になんらかの転機がおとずれるとして。 果たしてどこが転機だったのか、 何がきっかけだったのか、 その時にはわからないことは多いですね。 その時はネガティブにしか捉えられなかった出来事でも、 目の前の現実が、 想像もできなかったような光の射す方向へと大きく動き出した時に、 はっとする。 これまでがどうであろうと、 わたくしは、 今ここから、わたくしの人生を、作ってゆける。 自分の人生は、いつからだって、幾つからだって、回復させられる。 すずひは、いま、もしかすると、 そんな「新しい扉」の前に、 降り立っているのかもしれません。 おわり ↓ 「50代自分らしさ」のカテゴリに参加させていただいています にほんブログ村 今日はちょっとお話が長くなってしまいました。 最後まで読んでくださって、いつもありがとう。 : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.14 14:14:28
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