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テーマ:今日の出来事(287600)
カテゴリ:ミニマリスト家族
去年の桜の咲く頃は、
1年後、来年の春に起こるいろんなことは まだ何も決まっていなくて。 まったく未知の状態で。 けれど 1日1日 生きてきたら 1年先の春は、こうしてちゃんとやってきていて、 咲き誇る、去年と同じ桜の木のもとに佇むわたくしは、 「1年後のわたくし」になっていた。 わたくしだけでなく みんな みんな、みんな、そうね。 ************************************ 去年の桜の咲く頃は、 衝突や喧嘩を避けるための我慢を重ねながら、 まだこの先もずっと「いい娘」のふりを。 世間並みの母娘の芝居を、 延々と続けてゆくのだろうと思っていた。 親子の問題は、 互いに年齢を重ねたなら、 いつかは自然と解決するものなのだろうと思っていた。 けれど、 むしろそれは全くの「逆」で。 子の心にかかる負荷というのは、 歳を重ねれば重ねた分だけ、いっそう重くのしかかり続けるのだ、ということを知りました。 「重ねる」と「重い」は、 ああ、なるほど・・・ だから同じ漢字、なのかな。 家族、という閉ざされた関係において長年こじれてきたことは、 なかなか理解されにくいことは、充分わかっています。 どこからどう話してよいのかわからないし、 たとえうまく話せたところで、 「ふつうの家族」「ふつうの母娘」だった人々からの理解を 果たして得られるものなのか、どうか。 どんな人間関係においても、 人と本気で離れようとすることは、とてつもない覚悟の求められることですね。 罪悪感に苛まれることですね。 それが「母」となれば、なおさら。 よい娘のふりをし続けてきたのは、 揉めごとを避けるため、ではあったけれど、 「親を嫌うことは許されない」という強烈な脅迫観念と、 実際には「長年慣れたその生き方のほうが楽」だったから、 ということにも、はっきりと気づきました。 楽ではないほうの道を、 50を過ぎて、わたくしは初めて ようやく初めて選ぶことができたのかもしれません。 ********************************* わたくしは「よい娘」だったのではなく「都合のよい娘」だったのです。 都合のよい関係は、仲が良かったとしても不幸。 仲が悪ければ、さらにもっと不幸です。 いま大切なことは、だから「仲直り」ではなく、 自分の人生の回復。 親子はともだちにはなれないから、 絶対になれないんだから、さ。 ともだちは老いてこそ、 本当に大切なのだろうなあと、しみじみ思うのです。 たくさん必要、ということではなく、ね。 子や家族や伴侶だけが拠り所になったり、固執してしまわないためにも、ね。 とてもはっとさせられた「子どもの本当の役割」の、お話。
親が自分で気づけることが一番なのですが 子を自分の思いどおりにコントロール・支配できると思っている親や、 自分のことを良い母だと思っているタイプの親は、 子が従順であるうちは、 自分の間違いや勘違いに、決して気付けないのです。 そんな時、 子どもの側から唯一できることがあるとすれば 「親の期待を裏切ること」「親を絶望させること」 子が本気で。 子どもが本当の本気でぶつからないと、親は 親に、なれない。
子どもの本当の役目。 これは、ね わたくしが、息子にいちばん感謝しているところで。 うざすぎる母親(わたくし)のことを、 14歳の彼は、本気で突き放してくれたんですよね。 そこからわたくしの人生は、本当に。 本当に動き出したのだから。 *********************************
これは、本当のことだったよ。 ありがとうね。 かーさんは、 そして多分きっと おとーさんも、 あの頃よりも、今の方が、まちがいなく幸せだもの。 息子よ。 あなたもそうだったなら、うれしい。 来年の桜の咲く頃は、またもう1年「未来」ですね。 かけがえのない出会いや、素晴らしい経験の日々が、 眩しいほどの未来が、きっとあなたを待ってる。 体に気をつけて。 ごはん、ちゃんと食べて。 旅立ちの日、おめでとう。 おわり ↓ 「50代の生き方」のカテゴリに参加させていただいています。 にほんブログ村 今日も最後までお読みくださって、ありがとうございます。 ↓ たくさんのフォローも、とても励みになっています : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.31 10:00:43
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