今朝の朝刊から、
被災地の公務員、法律の家来になるな、
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被災地での公務員の融通の利かなさは、
別に目新しいことではない、
これだから、公務員はだめなのだ、
とは一概には言えまい、
公務員は、
法律/規則の中でしか動けないし、
そして、記者は、結論的に、
法律の家来から抜けて、
「法律を使う主人公になれ、」と迫るが、
一公務員にそれを求めるのは、どんなものか、
参考)
朝日新聞:法律は人間のためにある
このテーマ、法律優先は、なかなか面白いので、
キリストの言葉をいくつか見てみる、
キーワードは”律法主義”である、
マタイ5:17 新共同訳
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、
と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。
マタイ22:34-40 新共同訳
ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を、
言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
ヨハネ14:5-6 新共同訳
トマスが言った。
「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
コロサイ2:20-23 新共同訳
あなたがたは、キリストと共に死んで、
世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、
なぜ、まだ世に属しているかのように生き、
「手をつけるな。味わうな。触れるな」
などという戒律に縛られているのですか。
これらはみな、使えば無くなってしまうもの、
人の規則や教えによるものです。
これらは、独り善がりの礼拝、
偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、
知恵のあることのように見えますが、
実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。
ローマ10:4 塚本訳
(では律法を守ることが、なぜいけないか。
律法はキリストによって目的を達し、
もうなくなってしまったからである。)
すなわち、キリストは(御自分を)信ずる者が、
一人のこらず義とされるために、律法の終りとなられたのである。
第二コリント3:6 新共同訳
神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、
文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。
文字は殺しますが、霊は生かします。
こちらも参考に、
律法主義からの解放
律法主義は2000年前の問題で済んだのではありません。
クリスチャンや聖書を信じる人にとり極めて現在的な問題でもあります。聖書を知り、学び、聞いている人たちのなかに、形式や外面にこだわって、他人を裁いたり、見下したりしている人はいないでしょうか?。
聖書を信じる人が律法主義の束縛にとりつかれ、杓子定規や、かた苦しさを与えていないでしょうか?。
律法主義的な考えが充満して、律法を守れない人なんてと裁いていないだろうか?。
お酒を飲む人や煙草を吸う人を、律法を守れない人だと、バッサリと切り捨てていないだろうか?。
茶髮の人や変わった服装をしている人を見下していないだろうか?。
本音を言う人や自分の意見をハッキリのべる人を排除していないだろうか?。
はては学歴や職歴や住んでいるところで、白い目でみていないだろうか?。
「心をつくし、知力をつくして、あなたの神である主を愛せよ」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
「律法全体と預言者とがこの二つの戒めにかかっているのです」。
(マタイ22:37~40)
律法は愛のためにあるのです。
本来、愛のためにある律法が、現実は、
「律法によっては、罪の自覚が生じるのみである」。(ローマ3:20)
となっている、
これの打開のために、キリストは来られた、
以下、パウロは言う、
「わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。
それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。」 (ガラテヤ2:15-16)
人(公務員)が法律の家来になってしまっているという
現状の打開策は、これしかない、
法律、律法の完成者、キリストを、
公務員の(いや、日本人の)心に迎えること、
冗談を言っているのではない、
日本では、介護(保険)制度が、
なぜうまく機能しないのか、
元々、欧米(主にドイツ)で生まれた介護制度の原点が、
キリストの博愛精神に基づいているからであり、
キリストなき制度は、何処でも形骸化するからだ、
日本は、そろそろ原点に戻るべきではないだろうか、
ーー>日本人全体の死生観が正された。
これらの、日本人全体の宗教的罪悪により、200万の福島県人が塗炭の苦しみを舐めている。福島県人は日本人全員の罪の十字架を負った。申し訳ない。神の慰めと祝福がありますように。