Globe Asahiサイト人生からの旅立ち支える「産婆」から、
その後も多くの死をみてきた。
「病院では看護師は忙しすぎ、患者に寄り添って話を聞くことが難しくなっている」。
患者や家族がふだん通りの生活を送るなかで死を迎えられるよう、そばで支える人が必要だ──。
そう考え、5年前にNPOをつくった。
死期が迫る患者を支えるすべを教え、30人を育てた。
その役割を、終末期の「ドゥーラ(産婆)」と名付けた。
エリオットは助産師でもある。
「人は生まれる時も死ぬ時も、未知の世界にこぎ出していく。
二つのドゥーラの役割はとても似ている。」
以前は、死に関しての話題など、
それほど、積極的ではなかった、
もちろん、頭の中では、
いろいろ理屈はインプットされているが、
(永遠の命とか、)
あくまで、理屈である、
ところが、特に、今年、
死に直面するような体験(特に呼吸器系、心臓パクパク、)
を何回かすると、
現実に死と向かい合わざるを得ない!?
そうした中、
先日、来た思い「いつの間にか、去っていた」
だいたい、この世に来たのは、
自分の意思じゃないんだよな、
いつの間にか、来ていた、
ってことは、その延長でいいんだろうな、
そう、いつの間にか、去っていた、
これは、結構、ズシッと来てて、
その後も、心から消えていない、
いつの間にか来て、
いつの間にか去る、
そして、これこそが、
本来の死生観のあるべき姿ではないか、
と思うようになってきた、
そこに怖さみたいなものは特にない、
自分が介入する余地がないからだ、
そんなところに、今朝の朝刊にも、
同じようなことが記されていて、
人は生まれる時も死ぬ時も、
未知の世界にこぎ出していく。
またまた励まされることに、
そもそも、死が怖いとか、不安とか、
そんなのは、生とか死を人がコントロールできる、
と思っているから出てくる感情だろう、
誕生や死が、
自分のコントロールの圏外と知れば、
死への態度も変わると思う、
人生とは、まさに舞台劇に似て、
(とある監督の指示に従い、)
ある日、幕が上がり、舞台に現れて、
ある日、幕が閉じて、舞台から去っていく、
舞台劇には、
歌劇、人形劇、歌舞伎、ドラマ、能、前衛劇、等々、
数あれど、
いずれも見ていて、
舞台に没頭し、楽しめるのは、
とりもなおさず、
リアルの人生が(舞台)劇であることの、
証左ではないだろうか、