|
テーマ:絆(5)
今から50年くらい前だか、自分が小学校低学年の頃まで、野菜等を積んだ大きな籠を背負った千葉から来る野菜の行商のおばちゃんを街で見かけました。自分の家にもよく来てました。
ふと思い出して調べたら、始発で50-100kgの荷物を背負った女性が茨城や千葉から大勢東京に来られていたようです、っていうか今でもまだわずかですがいらっしゃるようです。 昔、母に聞いた話では、たしかうちに来られていたおばちゃんは千葉の一宮から来られていて、うちの祖母が一宮出身で、自分の出身の村の人たちの近況を聞いたり、メッセージをそのおばちゃんに託していたようです。昔はいったん嫁ぐとなかなか実家に帰れなかったですが、野菜売りのおばちゃんが、自分の故郷との大切な絆になっていたんでしょう。祖母が亡くなってから野菜売りのおばちゃんの姿はうちでは見かけなくなりました。 2021.5.23リンク切れにより差替え。 YouTube:【1961年12月】 千葉のおばさん 野菜行商が大人気 ■参考リンク 平成27年12月。年末は、懐かしい事を思い出します。野菜の行商のおばさん達。 Wikipedia:行商専用列車 行商専用列車(ぎょうしょうせんようれっしゃ)は、行商のための団体専用列車である。 成り立ち 行商人を専用に輸送する列車は関東大震災以前はあまり見られなかった。しかし、同震災により物資が都内で不足したことを機に、千葉県から東京都への一般農家による野菜や餅等の行商が始まり、のちにその固定した需要から専用列車として京成電鉄の野菜行商専用列車、通称「なっぱ電車」が走り始めた。京成では正式には「嵩高荷物専用車」と称する。ただし、「嵩高荷物専用車」の対象は「京成行商組合」の加入者で、定期手回り品切符を発行の上で利用している。 これら農産物や食品の行商人は背に商品となる野菜などを担いでいたことから「カツギ屋」とも呼ばれ、京成のみならず国鉄でも見られた。常磐線(おおよそ神立駅以南)・成田線にも同様の専用車(出荷組合員指定車)が存在していたこともある。そのため、湖北駅 - 下総松崎駅のホームには、行商人専用の荷物置き台が現在でも設置してある。 Yahoo知恵袋:30年くらい前、都心の車内で見かけた農家の行商のお婆ちゃんたちについて 74歳Sさんの頑張り(*^_^*) 2017年02月23日 (木)85歳 大都市東京 "最後の行商人" 小さな旅 笑顔待つ朝~東京銀座~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.05.23 09:27:21
[くらしの豆知識 Trivia in daily life] カテゴリの最新記事
|