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秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.03.14
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笑アップ歌謡大作戦は大学生のころ、日曜の午後にやっていた番組です。ついつい観てました。ピー子の岩城徳栄さんがかわいかったです。
山城さんも一時はバラエティ番組で絶頂期を迎えて人気者でしたが、晩年のニュースには驚き、残念でした。

2022.8.8リンク切れにより新伍の笑エティ教室のものに差し替え。
2022.12.20リンク切れにより差し替え。
2024.2.11リンク切れにより差し替え。





■参考委リンク
Wikipedia:笑アップ歌謡大作戦
『笑アップ歌謡大作戦』(ショーアップかようだいさくせん)は、1978年10月1日から1982年9月28日までテレビ朝日系列局で放送されていたテレビ朝日製作の音楽バラエティ番組である。その後も1982年11月2日から1983年3月22日まで『ザ・笑アップ』、1983年4月12日から同年9月27日まで『新伍の笑エティ教室』(しんごのわらエティきょうしつ)と題して放送されていた。
概要
いずれも山城新伍が司会を務めていた。番組前半(1 - 3時間目)では山城が紋付羽織袴姿で口髭を蓄えた教師に扮し、ゲスト歌手とレギュラー陣に学校の授業形式で大喜利をさせていた。そして後半(4時間目)では出演者たちがコントを披露するという構成だった。レギュラー出演者に加え、毎週ゲストが出演。最多出場は男性は五木ひろし、女性は研ナオコ。
最高視聴率は1980年6月10日放送分の24.8%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)。これは、後に『ミュージックステーション』が宇多田ヒカル初出演回の1999年6月18日放送分で26.5%を記録するまで、テレビ朝日でレギュラー放送される音楽番組ではトップの記録であった。

Wikipedia:山城新伍
山城 新伍(やましろ しんご、本名:渡辺 安治(わたなべ やすじ)、1938年(昭和13年)11月10日 - 2009年(平成21年)8月12日)は、日本の俳優・司会者・タレント。身長174cm。映画評論家・映画監督としても活動した。左利き。
元妻は花園ひろみ、娘は南夕花。京都市生まれ[1]。
来歴
医師の道を諦め、時代劇スターに憧れ、エキストラをやった後、東映ニューフェイス第4期に応募して、1957年に東映へ入社。同期に佐久間良子・水木襄・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子がいる。1958年に映画『台風』でデビューし、翌年にはテレビ時代劇『風小僧』で初主役となり、更には1960年にテレビ時代劇『白馬童子』で主演を務め、子供達の人気者となる。子供向けの時代劇だったものの、都会派で端整な顔立ちのスマートな青年が、忍者の様な見映えする白装束で白馬に跨る姿は、立ち回りの切れの良さもあって、大人からも人気を博した。
2008年8月28日発売の『週刊文春』9月4日号で『「このまま消えてしまいたい」山城新伍直撃「老人ホーム」最後の日々を語る」』と題された記事において、同年6月に老人ホームに入居し老後を送っていると報じられた。そこでは 「芸能界に戻る気はない」、「引退した者やから何もしなくていい。このままひっそりとしたい」、「みんな自分の事を忘れている」、「娘には会いたい」と話し、糖尿病の悪化により車椅子での生活を余儀なくされ、老人性鬱病、認知症なども患っており、復帰は困難という状況だった[12]。妻子に捨てられ(後述)老いと病気で衰えた姿を見られたくないと旧友の梅宮辰夫、松方弘樹らの見舞いの訪問を頑なに拒んだ。
2009年8月12日午後3時16分、東京都町田市の特別養護老人ホームで嚥下障害による肺炎で逝去[13]。享年70。戒名は「白慧院彰芸日安居士(びゃくえいんしょうげいにちあんこじ)」。白は代表作の「白馬童子」から取ったという。遺骨は京都市の金閣寺と妙満寺(顕本法華宗)に分骨して納骨される事となった[14][15]。喪主は山城の代わりに医師になった実弟が務めた。
同年10月9日、梅宮辰夫、松方弘樹らが発起人となった「お別れの会」が都内のホテルで催され、長門裕之、菅原文太、中村玉緒、地井武男、和田アキ子、渡瀬恒彦、小林稔侍、赤木春恵、山本陽子、五月みどりら136人[16] が出席し、故人を偲んだ[17]。
エピソード
東映に入ったばかりの頃、先輩俳優から「乗馬を覚えておけ。馬に乗れるようになれば、ウチ(東映京都)は時代劇(の映画)が多いから、どこかで使ってもらえる」と云われた。山城はその先輩のアドバイス通り乗馬を覚えたら、テレビドラマ『白馬童子』の主演話が舞い込んできたことを語っている[19]。

Wikipedia:岩城徳栄
岩城 徳栄(いわき とくえ、1961年3月3日 - )は日本の元歌手、元タレントである。現在は芸能界を引退し結婚している。タレント時代も本名で活動した。158cm、46kg、石川県輪島市出身[1]。青蘭学院高等学校(のちの青稜高等学校)卒業[1]。タレント時代は新栄プロダクションに所属していた。
人物
愛称はピー子。これは、赤ちゃんの頃「ピーピー」泣いてばかりいたので、近所の人からピー子と呼ばれていたことによる[2]。小学生になると「きかん気のピー子」と言われるようになり、地元・輪島では少し有名な存在だったという[2]。
実家は映画館を営む[2]。
経歴
日本テレビ音楽学院で半年間学んだ[3]後、『スター誕生!』に出場。日本テレビ『スター誕生!』の第19回決戦大会で合格。同番組からの50組目の合格者である[3]。
1978年1月10日に「ダウン・タウン・ベイビー」の曲でキングレコードよりデビューする[4]。
歌手としてはヒットには恵まれなかったもののテレビ朝日『笑アップ歌謡大作戦』ではピー子の愛称で呼ばれ元祖バラドル的なおバカキャラで人気を得る。
1980年代前半まではテレビレギュラーを数本持ち、また女優として映画にも数本出演した。
レギュラー出演していたTBSテレビ『街かどテレビ11:00』の生放送中に突然「明日大きな地震が起こります」と発言。司会者の五木田武信から「そんなことは分からないでしょ」とたしなめられたが、岩城は「本当なんです!本当なんですよ!」と力説した。番組はそのままコマーシャルに入りコマーシャル明けに司会者が謝罪し、その横で岩城は半泣きのまま一緒に頭を下げた。そして岩城はこの日を最後に同番組を降板した。この出来事が岩城の芸能界引退に繋がったとも言及された。
芸能界引退後はメディアに姿を現すことはなく結婚しているという[5]。





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Last updated  2024.02.11 21:35:59
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