茶木の音楽紀行 37
「お子さんはおられないのですか?」と僕は尋ねてみた。「いいえ、いるわよ、中学一年の娘と小学校四年の息子、それをおじいちゃんおばあちゃんに押し付けて出て来た訳、お願いだから一週間だけ一人で心の整理をする時間をちょうだいって。酷い母親よね!でも日本に帰ったらどんな仕事でもしてあの子たちを育てるわよ、覚悟は出来てる。」「とても頼もしいですね!」と僕は肘置きに頬杖を突いて言った。「ねーワインもうちょっと飲まない?」と彼女が誘ったが、彼女のテーブルにはすでに二本の空の瓶があった。それでも彼女は二本注文し、我々は自分でコップに注いで飲んだ。「貴方結婚はいずれしたい?」「ええ、すてきな相手が見つかればしたくなると思います。」「じゃー結婚に夢を持っている訳ね」「そうですね、家庭を築く事に憧れは有りますね」「ふーん、そうでしょうね」と言って彼女は上目使いに僕を見た。彼女は僕が独身だと決め付けて話を進めた。「どうして人は結婚しちゃうのかしら?」と言ってコップのワインを飲干した。僕がコップ半分飲む間に彼女は一瓶空けてしまったが、顔色一つ変わらない、アルコールにとても強いようだった。「結婚してしまえば楽しいのは始めだけで、今まで想像もしなかった煩わしさが纏わり付いて来るし、容赦なく傷つけられる事だって多いわ、子供が出来れば男も女も自分の時間は家族に捧げる時間に変わる。男は今の仕事が辛くて辛くて止めてしまいたいと思っても家族がいればそんな勝手な事は出来ない、ずっとその仕事にしがみついていなくちゃならないの。女は、寝ている時以外はすべて家族のために時間と労力を費やさなきゃならないの。夜、少し時間が出来たと思ったらもうくたくたで寝る事しか出来ない。そんな日の繰り返しでいつの間にか年を取って行く、そこから逃げ出す事は出来ないの。そしてお互いいらいらが募って喧嘩が絶えなくなる。自分自身の人生はいったい何処へ行ってしまったのか!なんてね、思い始める訳よ。どうこれでもまだ結婚したい?」と彼女は言って大きく息を吸った。僕は笑った。「えらく悲観的ですね!もちろんいろいろ大変でしょうけど何事にも変えがたい喜びも有るでしょ?今はきっといやな思い出だけがクローズアップされているんですよ」と言って僕は僕たちの真ん中にある空席の椅子を手のひらで叩いた。 つづく