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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:実録・連合赤軍
村上春樹について書いたら、コメントをいただき、
ありがとうございます。 実は村上春樹については過去にも書いたことがあり、 「ここ」と「ここ」と「ここ」に書いているのである が、実際に読んだ村上作品はこのときから変わってい ない。 秀0430さんが村上作品のキーワードは「ある種の 喪失感」であるという趣旨のことを書いておられ、私 が「孤独」と「喪失」だと感じたことは間違ってはいな かったと思った。 その「孤独」と「喪失」が何に起因するものか。それに ついてはおそらく多くの意見があると思うが、「連合赤 軍事件」とそれによる学生運動の崩壊や若者文化の変質 は、その要因のひとつではないかと思う。 彼自身が連合赤軍事件をどのように考えたのか、また、 若松監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を どのように評価したのか知りたいところである。 (彼のこの作品の評論文が掲載されているものはないの だろうか?) 団塊の世代であり、あの学生運動をリアルに体験してい るであろう彼だからこそ、作品の「喪失感」は表現できて いるのではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月06日 08時13分03秒
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