浮草侍、癒し犬悲恋斬り 8 最終章
浮草侍、癒し犬悲恋斬り 8 最終章 悲恋斬り 伝兵衛 秋深い日に、伝兵衛はいたたまれずに、ぼぶが貰われていった小川村を訪ねることにした。内藤新宿で甲州街道と分かれ、甲州裏街道とも呼ばれた、青梅街道をひたすら下って行った。 江戸の外とはいえ、のんびりした静かな風景が続いていた。菜っ葉や大根畑、芋畑が広がっていて、柿の木には赤い実がついて、鳥がつついていた。 中野宿をすぎ、田無宿をすぎると、もう小川村はすぐだった。小川村の名主の小川 八郎兵衛の屋敷はすぐに分かった。 お稲荷さんが祀られた欅や銀杏の大木の屋敷林で三方を囲み、堂々とした長屋門が街道から見え、屋敷内には藏が三つも見え、使用人が忙しそうに働いていた。 伝蔵は幾らか気後れしたが、通用門の陰から、そっと、屋敷の中を垣間見た。 ぼぶがいた!、ぼぶは元気そうに屋敷の庭を走り回っていた。 ~おおい、ぼぶよ、おれだおれだ~と、よっぽど叫びたかった。 ぼぶは、四歳くらいの男の子と、子守りの女と屋敷の庭で遊んでいた。 ~ ほら、むさし、とってこい、いくぞ、~ 少年は手毬(てまり)を投げた。ぼぶが手毬を追いかけ、手毬を咥え、少年の所へ持って帰る。少年は嬉しそうに手毬を受け取り、秋田犬の頭を撫ぜた。ぼぶはじっと、少年の眼を見つめていた。 ぼぶは幸福そうだった。伝兵衛はほっとした、でも淋しくもあった。寂しさの方が上だった。秋田犬ぼぶは名前も”むさし”という名に変わっていた。 子供のなげた手毬が伝兵衛の方に転がってきた、手毬を追いかけてきたぼぶは、伝兵衛を見つけて、首を傾げた、はじめて会った時の仕草だった。 ~可愛い奴よ、さあこっちへおいで、、~ ぼぶが瞳に涙をいっぱい溜めて見つめているように伝兵衛には思えた。 伝兵衛は胸が焼けるような思いを抑えきれずに、ぼぶに駆け寄り、手を広げて抱きしめようとした、そのとき、、、、 ~むさし、むさし、おいで、おいで!~ 少年の声がぼぶを呼んだ。ぼぶは何もなったように、くるっと背を向け、何かを振り切るように、手毬を咥え、少年の方へ走り去った。もう、ぼぶという名の犬ではなく、むさしという名の犬になっていたのだった。 すでに、ぼぶには名主の小川 八郎兵衛に対する新しい忠義が産まれていたのか知れなかった。 ~いいじゃないか、ぼぶが幸せに暮らしていれば~ それはそうであったが、そうであったが、伝兵衛の虚しい心はぼぶのことさえ恨めしがるのであった。食べ物を与えてくれ、面倒を見てくれれば、犬の忠義は新しい飼い主に宿るのだろうか。 ずっとつづく情愛などというものは絵空事だったのだろうか、犬に恋情を持つなどということが愚かなことだったのだ。伝兵衛の心の中に空しい風が吹き抜けた。 徳川綱吉は大馬鹿者だ、”生類憐みの令”は、犬畜生のために人間を奉仕せしめた珍無類の天下の大悪法で、嘲笑罵倒するだけでは到底許されはしまいと、悪口雑言を浴びせるが、”生類憐みの令”は悪いことだけだったのだろうか。 綱吉の時代が終わり、時代が移っても、人々は命を大切にする心を持ち続けた。 なにより、犬が人間に食われることは無くなったし、捨て子や捨て老人の数もぐっと減ったのだった。綱吉公が祀られている上野寛永寺の墓前には、犬が立ち寄り、お辞儀をしていくという噂も聞く。 ”生類憐みの令”が廃止され、犬が百姓に飼われることになり、犬が従順で忠義心が強いことが人間に理解され、江戸の町でも犬を飼う人が増え、やがて、人間と犬は仲の良い友達になっていった。伝兵衛とぼぶがそうだったように。 だが、相変わらず駄目なところもあった。道ででうんこを垂れ後ろ足で隠そうとはするが、うまくゆかず、そのままにして立ち去る。~伊勢屋、稲荷に、犬の糞~などと言われたのであった。 街乳山聖天院の境内にぼーと立っている初老の浪人がいた。大川の流れをもう、二時(四時間)も眺めている。 川の流れの紋様の中にぼぶの姿を探していたのだろうか、川の流れの泡沫(うたかた)は、楠の下から、伝兵衛を見つめていた時のぼぶのように見えたり、広小路での居合術の時のぼぶの姿にみえたり、ぼぶとの楽しかった思い出を浮かび上がらせたが、次の瞬間、ぼぶとの思い出を消し去るかのように、川面は流れを変えた。 ~俺の人生もただ流れていく、浮草のようなものだな~ ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし 世の中にある人とすみかと またかくのごとし 鴨長明の方丈記を呟いていた浪人の名は野呂山伝兵衛であった。 銀杏の黄色い葉が風に煽られ、どこへ行くのか空(くう)を漂っていた。 ~えいっ!!~ 野呂山伝蔵の居合い、悲恋斬りの刃が光った。 銀杏の落ち葉は二つに裂かれて地に落ちた。 おわり 朽木一空