密書をはこぶ チリンチリンの町飛脚 5
飛脚屋馬の助 悲恋走り 5 密書をはこぶ チリンチリンの町飛脚 嘘をならべた 艶書だけれど 届けてくれる 恋飛脚 ~都都逸でござんすよ~ さてさて、その馬の助、幕府御用達の継飛脚、江戸の看板飛脚と謳われていたのだが、川崎宿での失態で、天国から地獄、江戸の南町奉行所の牢に入れられていたのである。 南町奉行鳥居甲斐守耀蔵は、馬の助についての子細な調書に目を通し、お白州で裁定を下す前に役宅の裏庭に馬の助を連れてこさせた。 馬の助は愚鈍で、融通が利かない面もあったが、~引き受けた仕事は命を懸けてやり通す~という、熊五郎親分の教えを守り、今まで八年間の間、飛脚として、間違いを犯したことはなかったし、町の者と騒ぎをおこしたり、諍いや、喧嘩などもしていなく、馬鹿のつく正直者だと、調書には書かれていた。 南町奉行鳥居甲斐守耀蔵はじっと馬の助を見つめ、納得したように頷いた。 飛脚が盗賊や追剥に襲われる事件が頻発していたが、図体が大きく、ごっつい馬面顔なので、この馬の助の図体と顔ならば、追剥も手を出すまい。 さらに、飛脚でありながら馬の助は字が読めず、口数も少ない男であることが、鳥居耀蔵の密偵として手下に置くのには都合がよかった。 川崎宿でしでかした馬の助の失態は命を優先させたとしても、公儀の継飛脚としては許されないことだったが、南町奉行鳥居耀蔵にはある計略が渦巻いていたのだ。 「そちが、公儀の継飛脚でありながら、遅延し、しかも御用箱を汚し、継飛脚の信頼を損ねたこと、どう責めを負うつもりじゃ」 「へいっ、卜部邦之助様には私がぶつけて怪我をさせてしまい、申し訳ないことをいたしました。飛脚便は遅れてしまいましたが、卜部様を医者に連れていき、命が助かったことは よかったと思っておりますだ、義理と人情を忘れちゃなんねえ、損得は後からついてくるという、熊五郎親分のいいつけでございますだ。」 「なるほど、殊勝な心掛けじゃ、だが、公儀飛脚としては失格じゃのう、馬の助、おぬしは公儀の継飛脚はお役御免に致すぞ、してじゃ、卜部邦之助は土肥の金山送りにしたが、おぬしも同罪じゃ、水替え人として佐渡の金山へ送るところではあるが、佐渡の金山にいった者で帰ってきた者はおらぬのだがそれでよいか」 「へいっ、覚悟はできておりますだ、卜部様と同じにして下せえ」 「ふうむ、だが、お主にはやることがあるのではないのか?約束したことはないのか?義理と人情は捨ててよいのか?」 「あっ、そうだ、お奉行様、おらには、やることがあるだ、」 馬の助はその時、卜部邦之助と約束したことを思い出した。 ~約束したことは命をかけてもやり通せ!熊五郎親分の怒声が聴こえた。 「馬の助、お主をここへ呼んだのはな、佐渡の金山に送ることを赦してやる、その代り、儂の手下として働くのだ、儂の密書を運ぶのじゃ、隠密飛脚ということだ」 「あっしには、よくわからねえが、飛脚をやれというなら、やりますだ。ただ、ひとつだけお願げえがございます。あの卜部様の罪はわたくしがひでかしたことでございます。お奉行様のお力で、卜部様をとき放つことができませんでしょうか」 「なるほど、おぬしは優しい男よなあ、卜部邦之助のことは儂に任せておけ、悪いようにはせぬ。すぐに返すことはできぬがそのうちに必ず返してやる。それでよいな、、よし、小伝馬町の飛脚問屋「松城屋伝兵衛」に話をつけておく、儂からの隠密書状のない時には松城屋の町飛脚の仕事をするがいいぞ、一両日中に伝兵衛の店に出向くように、よいな」 「へいっ」」 陰謀術策に長けた、南町奉行鳥居耀蔵は犯罪者の罰を許す代わりに密偵として抱えることは常套手段であった。もっとも、北町奉行の遠山景元も、火付け盗賊改め役の長谷川平蔵も使った手ではあるが、、 密書、謀り状(たばかりじょう)、、、天保12年南町奉行矢部定謙を讒言により失脚させ,自ら南町奉行になった鳥居耀蔵は、老中首座、水野忠邦が多額な賄賂で老中に上り詰めたことも知っていた。その老中の後釜を狙う戦略のためには、密書(謀り状)はなくてはならない戦術であった。 大名や旗本、御家人、江戸藩邸幕閣の役人たちを誑(たぶら)かす、重要な戦術の手足になるのが密書(謀り状)だったのである。 密書の中身はむろん、誰にも知らされない。親書の中には、筆跡をまねた偽手紙や、偽情報の書かれた書状、誓詞や忠義を誓わせた書状まであった。鳥居耀蔵の密書は騙すために作られた偽の書状であり、陥れるための書状、まり、謀状(たばかりじょう )でもあったのだ。案の定、鳥居耀蔵からの密書を受け取った武将たちは困惑し、疑心暗鬼になるのだった。 従って、絶対に秘密漏洩してはならなった。もし、ばれれば鳥居耀蔵の命取りになる。馬の助は、字が読めぬから、盗み読みされる恐れはなかった。 鳥居耀蔵にとって、陰謀術策を進める上では馬の助のような男を手下に抱えて置くことが必要だったのである。 こうして、馬の助は江戸庶民からチリンチリンの町飛脚と揶揄された町飛脚と隠密飛脚の二足の草鞋を履いたのである。 つづく 朽木一空