忍草12 おっと、汚桜金四郎の巻 4
忍草12 おっと、汚桜金四郎の巻 4 おいっおいっおいっ、どうした! 肩で疼くは桜か梅か 小雨に哭いてる尻の痔か 遠山の金四郎さん、元気がねえぜ しとしとと降る陰気な小雨が、びっしりと着いた庭先の薄緑の梅の実に降りかかっていた。その雫が落ちるのを座敷から眺めていた、北町奉行遠山左衛門尉影元にはまだ、ことの顛末がよく呑みこめていなかった。 辰巳芸者のぽん吉姐さんと船上での久しぶりの絡みあいのあたりから、記憶が曖昧になり消えていった。 悪夢ではなかったのだ、その証拠に、湯に浸かると、肩から肘にかけて、彫り物が浮かんでくる。鮮やかな刺青ではない、桜だか梅だか、判別もできない子供の悪戯書きのような汚い刺青である。とても他人様に観せられたものじゃない。それに、まだじくじくと、痛みやがる。 擂粉木棒を突っ込まれた尻には今でも、何かが詰まっているような違和感が消ず、もともと悪かった痔がますます悪化して、膝をすり合わせるような歩きかたしかできなくなり、登城するのも憂鬱だった。 ぽん吉の「ご改革、緩めてくださいねぇ」という、脅迫めいた言葉、も頭から離れないでいたのだ。 運の悪いことに、今日は将軍家慶も参加する天保の改革の進み具合の評定があり、老中水野忠邦と南町奉行鳥居耀蔵との大事な打ち合わせがあるのだ。 天保の改革は老中首座の水野忠邦と南町奉行鳥居耀蔵、北町奉行遠山影元によって、推し進めれれていた。綱紀粛正と奢侈禁止、贅沢禁止令の効果が浸透し始めていたせいか、夜の江戸は火が消えたように静かになっていた。かって、本所深川あたりを放蕩三昧していた、遠山の金さんにとっては寂しいものがあった。 「これじゃあ、江戸じゃねえ、つまらねえや!」 遠山影元は尻の痛みと、桜か梅か見分けがつかぬ刺青のお蔭で、改革の弊害に目が覚めたともいえた。あの日以来、北町奉行遠山影元の取り締まりはますます緩くなった。めこぼし、とりこぼし、みてみぬふり、曖昧裁定で庶民側に立ち、半官贔屓好き、負け犬に味方する江戸っ子からは、名奉行遠山の金さんと煽てられた。 ~そうしねえと、ほんとに江戸から火が消えちまいそうだ~ そうなると、鳥居耀蔵と遠山影元の対立は増々激しくなり、南町奉行、鳥居耀蔵の町内取り締まりは、意地になって激しさを増し、江戸庶民から妖怪だ蝮だなどという綽名もつけられるほどぼろくそに嫌われ、一方の遠山影元の人気は鰻登りだった。 天保12年11月、鳥居耀蔵が老中首座水野忠邦の命で江戸中の歌舞伎小屋を廃止しようとした際、ぽん吉から脅されていた影元はこれに猛烈に反対し、なんとか、浅草猿若町への小屋移転に留めた。 この遠山景元の働きに感謝した、芝居小屋や、歌舞伎関係者がしきりに遠山影元を賞賛する意味で、『お江戸の味方、ご存じ、遠山の金さん!』の看板を掲げ、鳥居耀蔵を悪者、遠山景元の金さんをいい者にした、舞台を上演し、庶民から拍手喝采を浴びた。 だが、遠山の金四郎こと北町奉行、遠山左衛門尉影元は、庶民を苦しめ、虐める悪人どもに、お白洲で、片膝立てて、もろ肌脱いで、威勢よく、 「おうおうおう!やかましぃやい、この悪党ども、この桜吹雪散らせるもんなら散らしてみろぃ」 めでたしめでたし、じゃんじゃんじゃん、とは、いかなかったのである。 もろ肌脱いで、桜吹雪を見せるどころか、汚い刺青を見られないように、左手で、着物の端を握って肘を隠し、袖を気にして、めくりあがるとすぐ下ろすのが癖になっていたほどだ。奉行に刺青は許されることではなかった。 擂粉木棒を突っ込まれた尻は、その後死ぬまで痔病に悩まされ、登城が困難になり、北町奉行職の影元の身分では駕籠での登城は許されていなかったが、将軍徳川家慶が遠山景元の評定ぶりを評価し、奉行の模範とまで讃えていたので、特別に、駕籠での登城が許可された。 老中水野忠邦や南町奉行鳥居耀蔵は遠山景元の異様な仕草を疑い怪しんだが、将軍家慶のお墨付きではそれ以上の策を弄することはできなかった。 片膝立てて、お沙汰を言い渡しをしたのは、恰好をつけるためだけではなく、尻が痛くてまともに正座できなかったせいなのだが、ことの顛末は表沙汰にはできず、生涯隠し通すしかなかった。 出会い茶屋の『梅の囲』の離れ、ぽん吉姐さんこと霞のお銀、水猿こと鯉兵衛はにんまりと笑って酒を口に運んだ、旨い酒であった。水で薄めてない下りものの剣菱だからだけではではなかった。 ~遠山影元の取り締まりを緩めさせ、鳥居耀蔵との間に溝を掘れ~その、ややこしい『密命』はほぼ達成されたのである。 「----さてと、筒枯らしの術でも、」 「ふっ、ほんとに枯れたら、草も枯れちまうよっ」 汚桜金四郎の巻 終り 続編 乞うご期待!ぽんぽん とっ 朽木 一空