鼠小僧次郎吉へたれ噺 11 最終章
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 鼠小僧次郎吉へたれ噺 11 最終章 奇特なねずみ様はこの世からなくなりませんよ 「鼠小僧治郎吉、表を上げいっ」 「お奉行様、あっしは 人形町の貞治郎の息子の次郎吉でございます。誰がそんな粋な名をつけたかは、存じませんが、あっしはただの盗人でございます。」 「ふううん、大名屋敷から銭を盗んで貧乏長屋に施した義賊というのではないというのだな?、では、、どうして、次郎吉は盗みを繰り返したのだ」 「なぜ盗みをしたのかと問われれば、それは怯弱のせいでござんしょうね、誰かが、あっしの心から、怯弱と臆病風を泥棒してくれたら、盗人になんかにならなくて済んだんでございますよ。弱気が悪の根源だったのでしょうね、弱きでさえなきあ、なにも、泥棒の手なんぞ借りなくても生きていけたんでございますよ」 「ふうむ、なるほどな、では、次郎吉よ、もう一つ聞こう、 鼠小僧が貧乏長屋に配った金というのはいくらくらいなのだ、申してみよ、」「お奉行様、さっきも申しあげたとおり、確かに盗みは致しましたが、皆、博打と酒と女につかっちまいました。貧しい長屋に銭を分けてやるなんて,そんな高尚な心根は持ち合わせてはいませんわ、あっしじゃねえ、もっと奇特なおねずみ様がいらしたんでしょうよ、あつしなんざ、ただの汚れた溝鼠、濡鼠でございますよ。 でもねえ、お奉行様、大金持ちの大名様から銭を盗んで、貧乏人に銭を配るとう、奇特なおねずみ様は、この不平等なお江戸の町にはまたいつかきっと現れますよ」 次郎吉は銭を配ったおしぬにも罰が与えらえやしないかと、おしぬを庇ったつもりだったのかもしれない、それとも、自分が貧乏人の神様、義賊の鼠小僧だなんて、もぞかしくて、恥ずかしくてとても言えなかったのかもしれない。 天保3(1832)年、江戸北町奉行所のお白州、 北町奉行榊原主計頭忠之は、自ら吟味の席に着き、稀有の泥棒と言われた鼠小僧次郎吉を尋問した。 白州の蓆に座った、鼠小僧と呼ばれた盗人の治郎吉は五尺に満たぬ小柄な痩せで、弱気が木綿の着物を着た様な貧相な顔つきをしていた。 徒党を組まず、江戸の町を縦横無尽に盗みまくり、騒がせた怪盗の鼠だとは、榊原忠之にはとうてい思えなかった。 十年間に大名屋敷の奥だけを狙い、荒らした屋敷99箇所、盗みに入った回数120回、盗んだ金三千百二十一両余りだと次郎吉は供述した。 が、証拠があるわけでもなく、また次郎吉が盗みのすべてを記憶していたわけでもないので、正確な数字だとも思えなかった。 大名屋敷の方でも、盗みに入られたことを、隠蔽したほうが大名の権威に傷がつかず、大名家の恥にならずに済んだので、届け出を出さなかった屋敷の方が多く、 盗まれた金銭も3,000両(約2億4千万円)なのか、それとも、1万両以上(約8億円以上)なのか曖昧で、はっきりとはわからず終いだった。 鼠小僧の自白の通りだとすれば、十年間、だいたい月に一度盗みに入り、一回あたり平均二十六両、二度以上入った屋敷が10か所以上ということになる。 次郎吉が一か所から大金を盗まなかったことが、事件の真相をうやむやにしていた理由の一つでもあった。それにしても、いくら放蕩の日々を暮らしたとしても、一両あればひと月暮らせる銭であり、毎日一両の金を使い続けられるものだろうか。 次郎吉の住んでいた弥平町の裏長屋を調べに行かせたが、すでに、もぬけの空で、女房だったというおしぬという女も姿を消し、盗まれた金銭は一文も発見されなかった。 傍目から見ると次郎吉の弥平町の長屋での生活は地味で慎ましやかだったので、やはり、次郎吉は盗んだ銭を貧乏長屋に配ったのだろうと、北町奉行榊原忠之は推察した。 北町奉行榊原主計頭忠之は次郎吉に対し、江戸市中引き回しの上獄門の判決を下した。次郎吉は首を竦めて、「お奉行様、三途の川のせせらぎが耳元にまで聞こえてきましたよ、死ぬなんて慌てることはねえと思っていやしたが、命も泡もはじけちまえばお終いでござんすね、 もう、びくびくしねえで、やっと、ゆっくりと眠れそうですよ、死神様の野郎が面食らってるかもしれませんね、」 やけに落ち着いて榊原忠之の判決に頭を下げてていたという。 天保3年8月19日残暑の中、伝馬町の牢屋敷から裸馬に乗せられた鼠小僧治郎吉が出てくる姿が見えた。 江戸を轟かせた義賊の大泥棒であり、江戸庶民の喝采を浴びた有名人である。 牢屋奉行石出帯刀は天下の大泥棒の市中引き回しが大見世物になるので、みすぼらしい外見だと見物人の反感を買い、騒動にもなりかねないと、鼠小僧治郎吉には薄化粧をし、口紅まで差し、綺麗な着物を身に付けさせた。 次郎吉は幼いころ見た、歌舞伎役者を思い出し、馬上では毅然として、芝居がかっていたという。 引き回しは、小伝馬町牢屋敷から小塚原刑場へ向かうのだが、日本橋、京橋のあたりでは、鼠小僧を一目見ようと野次馬が大挙して押し寄せた。その群衆の中にはおしぬの姿もあった。 ~なあおしぬ、どう生きたって人間死ぬのだ、面白く生きたほうがいいやな~ そう、次郎吉が言っているようにおしぬには聞こえた。 ~そうだわ、わたしもね、次郎吉がお縄になって清々してるのよ、こんな辛気臭い暮しをずっと続けるのはもううんざりだったもの、わたしもこれからは、次郎吉さんのように、面白おかしく生きていきますよ~ 馬上の次郎吉に、三下り半(離縁状)を着物の上から握りしめて、暗かったおしぬが笑った。 天保3年8月19日、 次郎吉享年36歳、天涯孤独の身として刑が執行された。 翌天保4年、10年霜月、宵五つ、 ピッーピッー! 江戸の町に岡っ引きの捕り物の呼子笛が鳴った。 ~鼠小僧、御用だ!、御用だ!、御用だ!、御用だ!、~ 鼠小僧治郎吉が獄門の露と消えてから一年後、またぞろ、貧乏長屋に銭が配られているという話を、本所の密偵、ごみ拾いのでん婆から聞き、深川北六間堀の賭場の文蔵の手下の甚平からは、最近賭場に、女賭博師が出入りし、派手に遊んでいるというたれこみがあった。 ~また鼠がでやがったか、しかも今度は女鼠、その女鼠小僧は、きっと、おしぬに違いねえ、~ 猫七の猫勘が歪んだまま疼いていた。 浜の真砂(まさご)は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ,でんでん、、 終わり 朽木一空