賽子(さいころ)半次 2
しゃっくり同心茂兵衛 事件帳控 15 賽子(さいころ)半次 2 丁だ半だで 行く先決める どうせ浮世も 浮き沈み 開けたツボには さいころふたつ あっしのさだめ 決めやがる 傘骨の竜次 江戸の治安は奉行所の 市中見廻り役の定廻り同心が6名,、臨時廻り同心6名、偵察役の隠密廻り同心2名の、三廻りと呼ばれた14名の同心たちが、南北の奉行所にいて、江戸市中の、賭博、売春、喧嘩、泥棒殺傷などの犯罪捜査から、揉め事の仲裁、そして、御用御用の捕縛役を務めていた。 無論、そんな人数で江戸八百八町の治安を守るには手が足りず、同心は私的に、目明しとも、御用聞きとも呼ばれた岡っ引きを雇っていたのだった。その数500人は越えていたという。さらにその下に、下っ匹や密告者、強力者などもいて、合わせればゆうに3千人は手下の者が同心の配下にはいたのだ。 岡っ引きには評判の悪い人間も混じってはいたが、彼らの力無しでは江戸の治安は守れなかったのである。 岡っ引き一文疣(いぼ)の丑松は奉行所定廻りの日下部栄五郎の配下だったが、昔からの付き合いで、臨時廻り見廻り同心の野呂山 茂兵衛門と組んで仕事をすることも多かった。二人とも、六十を境にした年齢で波長が合うのかもしれなかった。 岡っ引き一文疣(いぼ)の丑松は深川六間堀の鼠小僧治郎吉出現の噂を探るため、岡っ引き同志の横の糸を使って、深川界隈の御用をつとめる、網縄の銀蔵という親分に話を通し、深川の悪所に通じている、下っ匹の傘骨の竜次という男を紹介してもらった。 松平遠江守のお屋敷の中にあった芭蕉庵が見え、その向こうには大川も望めるる、深川元町の”おかめ”という眺望のいい小料理屋の二階で、北町奉行臨時見廻り同心野呂山 茂兵衛と岡っ引き丑松と、傘骨の竜次という男がどじょう鍋を突きながらひそひそ話し込んでいた。 傘骨の竜次という男、岡っ引き網縄の銀蔵の下で動く下っ匹だが、女房に古骨買い(古傘買い)をさせて自分は酒と女、博徒に明け暮れているどうしようもない男だが、それだけに悪所には通じていて裏の世間の情報を得るには貴重な男だと網縄の銀蔵から聞いていた。蛇の道は蛇だ、小遣いほしさの密告野郎だが、同心の茂兵衛と岡っ引き丑松は使ってみることにしたのだ。「よう、ござんすよ、あっしは深川の地獄耳でございますからね、南六間堀町の文蔵長屋でございますね、早速当たってみやしょう、」 飯を食わせ、酒を飲ませ、竜次という男に一分金(約千文))を握らせた。 その傘骨の竜次から繋ぎがきて、二度目に小料理屋”おかめ”であったのは七日後だった。 「八丁堀の旦那、丑松の親分、わかりやしたよ、随分と苦労しましたがね、」 「そうか、さすがは深川の地獄耳だな、」 ~確かに鼠小僧治郎吉が銭を投げ込んだことは間違えのない話でございましたよ、もっとも、あの辺りじゃ、賽子(さいころ)小僧なんて呼んでますがね。 南六間堀町の源蔵店の大工の伝吉ってえんですが、博奕に負けて、五両もの借金をこさえて、その借金の方に娘のお美代を連れて行かれそうになったんですよ、途方に暮れてたその伝吉の家に銭が投げ込まれたんだそうですよ、投げ込まれた銭は、紙に包まれていて、その紙には~博奕で負けぬためには博奕をやらぬこと、今後一切博奕には手を出さぬと約束すべし、賽子小僧~と、書かれてあったんだとさ、おまけに、さいころが二つ転がっていてシゾロの丁の目を見せていたってことですよ、ですがね、 江戸っ子の伝吉はその紙きれとさいころを見て、 「俺の断りもなしに銭を投げ込みやがって、馬鹿にするねえ、ちっとも嬉しかねえやい、気味が悪いや、こんな銭は受け取れねえ、猫糞(ねこばば)なんてのは江戸っ子のすることじゃねえ」 と、番所に五両もの銭を届け出たのですよ、たまたまそこに北町の見廻り同心、日下部栄五郎様がいらしてくれたんですよ。 「それじゃあ、伝吉、この五両を受け取らねえで、娘が岡場所に売られたっていいっていうのかい、それが親のすることかい、」「そうじゃねえが、間尺に合わねえ銭は受けとれねえって申してるんでさあ、江戸っ子はね、粋で生きてんですからね、銭なんかに執着しちゃあ笑われちまうよ」 内心では娘を心配しているのだが、見栄坊の伝吉は江戸っ子の粋を譲らない。 「そうかい、じゃあこうしようじゃねえか、伝吉の届け出た銭は確かに北町奉行見廻り同心、日下部栄五郎が受け取ったぞ。」 そう言うと、日下部栄五郎はその銭を懐に仕舞った。そして、、 「伝吉、お奉行様からな、伝吉の正直な申し出は立派だ、よって、褒美に五両をつかわす。これならよいな、まさか、奉行所からの褒美を受けとらねえとはいわねえだろうな」 名奉行遠山の金四郎の股の下をくすぐったような裁きだったということですがね、 「ふうん、あの定廻りの日下部がねえ、そんなことがあったとは奉行所へ報告が上がってねえな、遠山金四郎の裁きを年中見てるからな、蛙の子は蛙かあ、 ひっく ひっく ひっく 」 茂兵衛は我慢してたしゃっくり堪えきれなくなった。 「旦那、サイコロ小僧の話はまだあるんですよ、南六間町当たりの裏長屋で銭を投げ込まれた家は揃いも揃って鬼熊の賭場で借金して首も回らなくって、明日は大川に身投げしようかというような連中だったのでございますよ」「傘骨の竜次、おめえもその鬼熊の賭場にも出入りしてるんだろう?」「嫌ですよ、旦那、賭場に出入りしてるんでお縄だなんてこと言わねえでくだせえよ、あっしは旦那のお言いつけで賭場を探りに行ったんですからね。でも、そのおかげでお銭(おあし)が足りなくなりましてね、、」 まず話の続き前に、報酬を要求するように茂兵衛の前に手を出した。一分金をその手の平に落とす。懐は痛むが、同心野呂山茂兵衛にとっては聞き逃せないネタであった。遠山様のため、いや、久々の手柄を挙げるためであった。 「で、旦那、この辺りの賭場は黒熊の鬼蔵という博徒が仕切ってるんですがね、この頃じゃ、お奉行の遠山金四郎様の賭博に対する取り締まりも厳しくなりまして、なかなか大きな賭場が開帳できない、それで、鬼蔵は蕎麦屋の奥の間、船宿の二階の隠し間、空き店などで、ちんけな賭場を開いているのですよ。 貧乏人相手の手慰みってところなんですが、金持ち相手ならいざ知らず、貧乏人相手の博奕なんざ質が悪いんでございますよ。 裏長屋の貧乏人にこまを廻し、五両十両の借金を作らせるのは造作もないこと、その五両ぽっきりで、かみさんや娘を取り上げちゃうてっんですから、幾ら証文があるからって安すぎますわね、五両で娘をかっ攫い、上物なら吉原へ売れば五十両にはなる、深川の岡場所だって二十両にはなるだろう、あくどいやり方ですよ。 だが、長屋住まいの男たちにはどうしようもならねえ、店賃を半年も溜め混んでる者ばかりだ。逆立ちしたって屁もでない男にゃ、五両十両の金ができやしねえ、 そこが鬼蔵のつけめで、銭を用意できない男は泣く泣く女房や娘を売る、それじゃああんまりだってんで大川に身を投げたなんて事件までおきてるんですよ。「鬼蔵という男も、悪知恵の働くやつよのう、とっちめてやらなきゃいけねえな、 ひっく ひっく ひっく」茂兵衛のしゃっくりが止まらなくなっていた。ひっく ひっく ひっく ひっくひっく ひっく ひっく ひっく、「おい、白湯をくれ、旦那、柿蔕湯(していとう)飲んでくだせえ、柿のヘタの黒焼ですよ、しゃっくりが止まらねえと死んじまいますよ」 丑松は茂兵衛がのしゃっくりが止まらない理由(わけ)を理解していた。 つづく 朽木一空