テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:お出かけ 京都
松花堂から石清水八幡宮に向かって進むと 右手に真っ赤な泥松稲荷社があった その昔、もみじ寺というところに小柄で 豆狸のような庵主様がいた。 近くにあった祠には、いたずら好きの どろ松という狸が、住み着いていた。 ある日、狸はいたずらが過ぎ、村人に こっぴどくお仕置きをされ、弱っていたが 庵主様は、狸をお寺に連れて帰って手厚く 看病してあげると、すっかり元気になった。 その後、狸は庵主様について、一緒に お祈りをするまでになるが、亡くなってしまい 庵主様は御霊を祀り、朝夕に拝んだそうだ。 すると、庵主様にどろ松の霊力が乗り移り 占いが良くあたるようになり、その噂は 京都や大阪に広がり、「どろ松様のお狸様」 と呼ばれ、社と鳥居が奉納されたそうだ。 さらに進んだところにある正法寺。 徳川家康の側室、尾張徳川家の祖 徳川義直を生んだ相応院は こちらの寺の娘だったそうです。 家康との馴れ初めは、相応院こと、お亀さんが 子どもを行水させていると、家康の行列が通り 慌てて、子どもをタライに入れたまま家の中へ。 「この人なら元気な子どもを 生んでくれるに違いない」 と家康は見初めたという 弘安年間(1278~1288)に石清水八幡宮の 社殿を移して建立した本堂がある善法律寺。 こちらの娘さんは、一休さんで お馴染みの将軍様こと 足利義満 のオカン その良子さんは、自分の好きな紅葉の樹を たくさん寄進した事から、別名 紅葉寺と呼ばれています。 今まで紹介した場所からは、少し離れてますが 木津川に架かる時代劇でお馴染みの 流れ橋 こと、上津屋橋です。 永久橋だと経費がかかるため、節約型の 木橋にしたそうで、増水時は水の抵抗を減らすため 橋板だけがフワッと浮き上がり、8つに分かれて流れる。 この橋板は、ワイヤーロープで橋脚と、しっかり 結ばれているため、水が引けば、このロープを たぐり寄せて橋脚に載せれば、再び通行できる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.11 22:05:44
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