秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。
すわれば風がある秋の雑草 山頭火
秋山巌「風がある」1989年
昭和8年9月12日の句です。
小郡の其中庵から、前日の9月11日に広島尾道に向け出立、この日はふるさと防府鞠生松原(まりふのまつばら)の散歩から。
以下、行乞記 広島・尾道 より
九月十二日
朝、鞠生松原を散歩する。
放下着、放下着、身心ほがらかほがらか。
六時出立、我ながらサツソウとしてあるく、見渡すかぎり出来秋のよろこびだ(実際問題としては豊年飢饉だらう!)。
末田海岸の濤声、こゝにも追懐がある。
荷馬車にひつかゝつて、法衣の袖がさん/″\にやぶれた。
彼岸花が咲いてゐる、旅の破法衣と調和するだらう。
富海から戸田まで汽車、十時から一時まで福川行乞、行乞がいやになつて、そこからまた汽車で徳山へ、二時にはもう白船居におさまることが出来た。
酒はうまい、友はなつかしい。
井葉子さんもずゐぶん年が寄つたと思ふ、それだけまた、その接待振が垢抜けしてうれしい、感謝合掌。
飲みすごしても、層雲を借覧して、句稿整理することは忘れなかつた、句は酒と共に私の生命の糧である。
今日の所得(銭十七銭、米一升三合あまり、これは白船君の奥様にむりにあげて、その代償として五十銭拝受)
身うちのものがいふ、――
『あんたもホイトウにまでならないでも、何かほかに仕事がありさうなものだが、……』
私は苦笑して心の中で答へる、――
『ホイトウして、句を作るよりほかに能のない私だ、まことに恥づかしいけれど仕方がない、……』
・いまし昇る秋の日へ摩訶般若波羅密多心経
・コスモス咲いて、そこで遊ぶは踏切番のこどもたち
・鍛冶屋ちんかんと芭蕉葉裂けはじめてゐる
煤け障子は秋日の波ですつかり洗つた
おもひでは波音がたかくまたひくく(末田海岸)
・もう秋風のお地蔵さまの首だけあたらしい
・秋の日ざしか、旅の法衣をつくらふことも
・すわれば風がある秋の雑草
・寝ころべば青い空で青い山で
・何もかも捨てゝしまはう酒杯の酒がこぼれる
うらに木が四五本あればつく/\ぼうし(白船居)
追加
・海をまへに果てもない旅のほこりを払ふ
・ふるさとの山にしてこぼるゝは萩
以上。
身内のものがいふ・・・ってどなたでしょうね。
酒と友達とふるさと、ふくろうがこの日の山頭火をよく表していると思います。