何度もフィルター論を言いますが、要は、
私たちは、世界のありのままを観ているのではないということを
忘れないことなのです。
あくまで、世界の一部を取り出して、それに解釈を加え、
勝手にグループ化して
「認識」しているのです。
だから、一人ひとりの世界は、みんな違うのです。
そして、もちろん、客観的な世界(そういうものがあれば)とも。
だから、誤解や思い込み、勝手な妄想、というのは当然。
ある意味、正常なことなのです。
だったら、自分に都合の良いように解釈すればいいものを
なぜか、人間は自分に不都合な解釈をしてしまいがちです。
その結果、嫌な気分・憂鬱が生まれてきます。
このフィルターのクセを見極めれば、
フィルター交換の可能性が生まれてくるわけです。
このフィルターに気づき、別のフィルターを試してみる気にさせるには
反証する事実に直面させる方法。
また、いろんな解釈ができることを、実感させることが
役立つと思われます。
まさに、ここに、科学実験教室の意義があると思うのです。
教師に説教されて、考えを変えるのではなく、
自らフィルターの限界や不備に、気づくのです。
ですから、まず、いろんな意見を自由に言える雰囲気がなくては
多面的な解釈を引き出せません。
そして、安心して、間違えられるません。
だから、指導者に必要なのは、根本的な明るさです。