そもそも言葉というものは、現実を省略するから生まれるのです。
だから、体験を言葉にすると、必ず省略が起きます。
発言自体は、ウソではないけれど、省略によって、大きな誤解を生むことになります。
それは、同じ言葉でも、受け取る人によって、その人のフィルターを通すと、
別の意味になるのが当然だからです。
小さな情報から、自分が思い込んでいる世界を確認、強化してしまうのです。
理系の訓練は、省略された情報をあぶり出すのに役に立ちます。
理系の質疑応答は、抜けた情報、確認されていない論理、
情報自体の確かさを検討したり、フィルター自体をクリアにさせるものだからです。
これらの討論を通じて、自分の思考の枠組みを変化させていくことができます。
また、理系の頭脳は、定量的に物事を捉えます。
定性的ではありません。
価値観で、右か左かということをしません。
そもそも二者択一というのは、現実的な問題解決ではありません。
今回の都知事選でも、「原発か、非原発か 」なんて、
そんな非科学的な議論をしているようでは、
たとえ、脱原発が実現できても、同じような神話に、またはまってしまうでしょう。
全ては、量と割合で表すのが、誠実な思考です。
その意味でも、小泉元首相の劇場型政治は、愚民政策と言えると思います。
ま、いずれにしても、言語のコミュニケーションは、
穴だらけです。
だからこそ、その隙間を埋めるには、「思いやり」が必要なのです。
思いやりの無いコミュニケーションは、土台から間違っています。