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カテゴリ:老い
朝日新聞は意見の相違から腹の立つことが多くあまり目を通さないが、 社説はサンケイWEBから4紙が一瞥できるのでほとんどチェックしている。 そんな中、7月17日付の 「生活保護―最後の命綱を切るな」が私の身勝手な関心を呼び覚ました。 「おにぎり食べたい」。日記の最後にそう書き残し、北九州市で1人の男性が亡くなった。 52歳の独り暮らし。「病気で働けない」と訴え、昨年末から4カ月間、生活保護を受けていた。この春、市に働くよう促されて生活保護の辞退届を出し、支給は打ち切りとなった。 (中略) だが、本人が辞退を申し出たとしても、いきなり打ち切ってしまうのは乱暴すぎる。実際に仕事が見つかったのか。収入を得るめどはついたのか。きちんと確かめてから判断すべきだった。(以上 抜粋) 死因の詳細は記事からは不明だが、おそらく栄養失調-餓死と思われる。 大分以前に幼い兄弟が家に閉じ込められて餓死し、生のジャガイモをかじったあとが あったとの報道に衝撃を受けたことを思い出す。 今回は52歳の男性である。病弱だった模様だが生活保護辞退をするだけの 意志力があるのに何故と、疑問がわきあがる。 友人がいなかった? これ以上社会保障に頼ることを潔しとしたくない、 生きることに喜び・感動が得られない・・・多くのことを考えさせられる。 年齢を経ていても、傍から見れば未熟な大人は多い・・・というより、ポカンと心に穴が 開いて、生きることへの努力を、意識があるなしに拘わらず一時期放棄して しまうのだろうか。放棄期間が長ければ死にいたる。 神戸地震のときには仮設住宅の独身男性がアルコール生活にはまり、 そのうちなくなってしまったとのTV報道もあった。 私もふがいない初老・独身で残りの人生をゆとりをもって生活できるほどの蓄えはない。 が、可能な限りの楽しみ・役に立ちそうなことを見つけ、行き(生き)着くところまで なんじゃもんじゃと歩こうと思っている。 笑われようが、馬鹿にされようが、引かれようがジュンは水・空気・食べ物のように、 私にとって生きることへの重要な糧として日々成長してくる。 いつでも、どこでも・・・車へ、ベッドへ、トイレにさえついてまわる。 真夜中にPCに向かえば膝上、長くなりそうだと感知したときは横で寝そべる。 仕事に就いているときには、孤独にさせるのがいたたまれなかったが、 今は四六時中一緒。幸せの絶頂期と思っている。 今回の朝日の社説「生活保護―最後の命綱を切るな」からは、経済的な支援というよりは、きわめて抽象的で困難だが「生きることへの糧-自立支援」を考えさせられる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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