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カテゴリ:マルクス

 アドルノによる、マンハイムの 「知識社会学」 批判への補足です。先に引用した 『プリズメン』 所収の論文から、もう一箇所引用します。

 ところで、知識社会学の新の魅力は、この意識変革が 『計画する理性』 の働きとして、今計画を立てている人々の理性と直接に関係付けられる点に求めることができる。

 『機能的に合理化されつくした社会の中での一連の行動を考え抜く作業は少数の組織者の頭脳のうちでのみ遂行されるという事実は、これらの組織者に対して社会の中での指導的地位を保証する』(以上はマンハイムから)
 ここには、知識社会学の意識をはるかに越えた、ある動機が打ち明けられている。すなわち、そこにはあの 『少数の組織者』 の精神としての客観的精神が知識社会学を離れて語っている。知識社会学は新しいアカデミックな作業領域を夢見ているのに、それは予想もしなかったことに、この作業領域を押収するのを一瞬もためらわなかった連中に奉仕することになる。  (前掲書 P.58)

 
 アドルノのマンハイム批判は、簡単にまとめれば、「知識人の浮動性」 なるものを根拠にした彼のエリート主義的な傾向は、既存の支配者に奉仕するものでしかないということにある。マンハイムの理念の曖昧さは、アドルノが引用している、たとえば次のようなマンハイムの言葉からも明らかだろう。


 しかし、ここから同時に現在の軋轢(30年代の危機のこと)の可能な解決がその輪郭において見えてくる。すなわちそれは、今日反対方向に走っている諸原理から完全にバランスの取れたシステムを作り出すような計画をもった一種の権威主義的デモクラシーである。

 「社会学の父」 とも言うべきコント以来、『よりよき社会』 を建設するための提言という発想は、多かれ少なかれ社会学にはつきものである。だが、そういった 「社会工学」 的発想には、結局のところ 「管理社会」 といったものに行き着かざるを得ない傾向があるのを見て取るのは、そう難しいことではない。

 「社会化」 が、単に有能な少数の指導者による、大所高所からの 「指揮・指導」 に基づいた 「計画化」 に過ぎないならば、そのような社会が最悪の 「全体主義」 的支配に帰着する以外にないことは自明のことである。なぜなら、そのような社会は、現に少数の指導部による専制的統一的な指揮命令が貫徹している、企業や軍隊といった組織を全社会的に拡大したものに過ぎないからだ。

 そのような 「社会化」 や 「計画化」 は、「疎外」 を解決するどころか、「疎外」 を完成するものに過ぎないこともいまさら言うまでもない。そのような 「計画化」 では、無秩序な競争による無駄を多少は省けるかもしれないが、人間がモノ扱いされているという状況はちっとも解決されていない。

 大塚久雄といえば、マルクスとウェーバーの統合を主張して、「大塚史学」 と総称される経済史学を建てた、丸山真男とともに戦後を代表する有力な 「進歩」 的知識人の1人であるが、次のようなことを言っている。

ともかく、群集全体の動きを見定めて、方々に伝令を飛ばし、方向をいろいろ変えさせたり、止めたりしていくわけですね。その権限は、軍隊などのように、計画的な隊列を作らせることになるでしょうが、ともかく、こうして混乱は収拾されるでしょう。つまり、計画的に隊列を作って行進すれば、そうした混乱は起こりえないのだから、群衆に隊列行進という計画性を与えて、その混乱を解消していく。こうして、人間の 「疎外」 現象を解消していけばいいのだ。こうマルクスは言うのだと思います。

岩波新書 『社会科学の方法』        

 40年も前の本をいまさら取り上げるのもいささか気が引けるし、こういった説明には、もちろん単純化がつきものでもあるが、これはやっぱり、最悪のマルクス解釈というべきだ。これで生まれるのは、ただの 「兵営国家」 にすぎない。






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Last updated  2009.10.06 01:29:34
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