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カテゴリ:社会

 ぼくは、夏休みに内田樹という人の 『下流志向』 という本を読みました。内田樹という人は、神戸女学院大学というところでフランス現代思想という、なんだか難しそうなものを教えている偉い先生だそうです。内田樹の研究室というブログも書いているそうですが、なかなか本音を言わないで、人を怒らせたり、煙に巻いたりするのが好きな、ちょっと困ったおじさんみたいです。

 このまま続けようかと思ったのだけれど、やっぱり無理があるようなので、続きは 「大人」 モードで

 この書は実際の講演をもとにしたもので、「学びからの逃走」、「リスク社会の弱者」、「労働からの逃走」、および講演後の「質疑応答」 の章で構成されている。

 この書で、内田氏は佐藤学 『学力を問い直す』、諏訪哲二 『オレ様化する子どもたち』、刈谷剛彦 『階層化日本と教育危機 -- 不平等再生産から意欲格差社会へ』、山田昌弘 『希望格差社会 -- 「負け組み」 の絶望感が日本を引き裂く』(残念ながら、どれも読んではいない)などの書に 「強いインパクトを受け」 たと言っており、様々な考察の手がかりとしている。

 まず第一章で、内田氏は次のような諏訪氏の言葉を引用している。

 私たちは、生活のすみからすみまでお金が入り込んでいる。朝から夜まで 「情報メディア」 から情報がはいってくる生活も初めてである。お金がお金を生み出す経済の運動の中に完全に巻き込まれている。子供たちが早くから 「自立」(一人前)の感覚を身につけるのも、そういう経済のサイクルの中に入り込み 「消費主体」 としての確信を持つからであろう。・・・・学校が 「近代」 を教えようとして 「生活主体」 や 「労働主体」 としての 自立の意味を説く前に、すでに子どもたちは立派な 「消費主体」 としての自己を確立している。すでに経済的な主体であるのに、学校へ入って教育の 「客体」 にされることは、子どもたちにまったく不本意なことであろう。

 「消費主体としての自己確立」 ということは、子どもたちは学校に入る前に、貨幣と交換でモノを手に入れるという 「消費者」 として、自己を確立しているということだ。それによって、子どもたちは幼いときから、時間を計算に入れない、その場での 「等価交換」 という原理を身に付けてしまっていると、内田氏は諏訪氏の言葉をもとに指摘する。その結果、今この場で、その価値について納得し、受け入れることができない 「学び」 や 「労働」 からの逃走が起きているのではないか、内田氏はそのように立論している。

 こういった議論は、これだけ聞くと奇矯なように聞こえるかもしれない。しかし、事実として現代の子どもたちは、幼いときからお金を使うことを身に付けている。その一方で、母親の手伝いというような、家庭での労働という経験は、まったくではないにしても失われつつある。休みになれば、ゲームセンターは毎日のように、お金を握り締めた子どもたちであふれかえる。中学生が、同級生から大金を脅し取って豪遊したというような事件も、現実に何件か起きている。

 むろん、恐喝までやった事件は極端な例である。しかし、いずれにしろ、こういったお金を湯水のように使う子どもという存在は、ほんの何十年か前まではどこにもなかったものだ。このような社会の変化が、その中で生まれ育つ人間の成長に対して、なにも影響を及ぼさないはずはない。その意味で、内田氏の主張は、けっして荒唐無稽で済まされるものではないように思う。

 内田氏が指摘していることは、いまや貨幣経済と市場原則が、家庭の内部にまで浸透し、その結果、子供たちが幼いときからそのようなイデオロギーに絡めとられているのではないかということだ。ここで内田氏に対して 「データを示せ」 とか 「フィールドワークをやったのか」 みたいに批判することは、意味がない。内田氏がやっていることは、社会の中の兆候を読み解くことであるし、それは単なるアンケート調査などで可能になるものではない。

 また、内田氏は 「自己決定・自己責任」 といった言葉で正当化された、今のリスク社会については、次のようなことを言っている。

 「銀の匙をくわえて生れてくる人間」 というのは、生れたときすでに無数のステイクホルダーたちのネットワークに絡め取られている人間のことです。彼らのアドバンテージは、主に彼らが自己決定を放棄したことの代価として提供されたものであり、彼らの属する 「強者連合」 が彼に期待している役割を遂行している限り、彼が冒すリスクは集団全体がヘッジしてくれる。そういう相互扶助組織の中にビルトインされている人間が、今の日本の強者たちを形成しています。

 その反対の極に社会的弱者がいます。弱者とは端的に言えば 「相互扶助組織に属すことができない人間」 のことです。獲得した利益をシェアする仲間がなく、困窮したときに支援してくれる人間がいない人間、それがリスク社会における弱者のあり方です。

 ここでの強者が、なにを指すかは言うまでもないだろう。国会議員の多くが二世三世であることは誰でも知っている。東大などの入学者が高所得者に大きく偏っていることも、よく知られた事実だ。こうして、社会的強者と弱者の間の溝が広がり、格差が再生産され、「構造的弱者が生れつつある」 と内田氏は言う。むろん、これは内田氏の創見というわけではない。多くの人が共通して認めていることだろう。

 弱者が弱者であるのは孤立しているからなんです。自己決定・自己責任とか、「自分探しの旅」とかいうイデオロギーに乗せられて、セーフティネットの解体に同意し、自分のリスクを増大させていることに気付いていない。マルクスは「万国の労働者、団結せよ」と言いましたけれど、ほんとにそのとおりで、大切なのは「万国の弱者、団結せよ」ということなんです。

 これが、「格差問題」 に対する内田氏の結論だと言っていいだろう。「小泉改革」 の負の遺産や安倍内閣の 「成長至上主義」、あるいはアメリカ主導のグローバリズムを批判することは、ある意味でたやすいことだ。確かにそのとおりだ。それが間違っているわけではない。

 しかし、社会が高度な消費資本主義というところへ突入した中、たんなる表面的な政治の動きだけでなく、政治の底の直接には目に見えないような社会の深部で、どのような変化が起きているのか、そこまで批判の眼差しを届かせることができる人こそ、本当にラジカルな知性の持ち主であるというべきではないだろうか。






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Last updated  2007.09.02 20:43:36
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