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カテゴリ:社会
陳寿が著した 『三国志』 東夷伝の一節である通称 「魏志倭人伝」 によれば、どこにあったのかいまだに分からない、かの邪馬台国の女王卑弥呼は、曹操が漢を滅ぼして建てた魏に対して、「男生口四人、女生口六人、班布二匹二丈」 を贈ったという。 海を渡ってはるばる使いをよこし、貢物を贈ってきた、この卑弥呼の忠義にえらく感動した魏の皇帝は、お返しとして、「親魏倭王」 の金印とともに、「絳地の交竜錦五匹、絳地の粟十張、せん絳五十匹、紺青五十匹」、さらに 「紺地の句文錦三匹、細班華けい五張、白絹五十匹、金八両、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠、鉛丹おのおの五十斤」 を卑弥呼の使者に持たせて帰らせたということだ。 問題の邪馬台国の所在地はともかくとして、「鬼道に事へ、能く衆を惑わした」 という女王卑弥呼としては、「親魏倭王」 という地位を認めてもらった上に、金銀財宝に錦の類のおみやげをわんさと貰ったのであるから、まさに願ったりかなったりというところだろう。 ポトラッチに関する記述で有名な 『贈与論』 の著者マルセル・モースによれば、贈与を受けた者はそれを上回るお返しをしなければならない。でなければ、贈物を受け取った者は、それを贈った者の権威を認め、相手に 「従属し、家来や召使になり、小さくなり、より低い地位(従僕)に落ちる」 ことになるからだそうだ。 一般的に言えば、このようなお返しは、必ずしも目に見えるものである必要はない。卑弥呼の時代と違って、現代において会社の部下が上司に対して、あるいは会社だとかが有力者や取引先に 「贈与」 をするのは、なにも直接のお返しを求めているわけではない。それは、取引の継続や庇護、お引き立てといった、様々な目に見えぬ形でのお返しを求めてのことであろう。 考えてみれば、「贈物」 を受け取った人間が、それに対してなにかお返しをしなければならないと感じるのは、きわめて人間的な倫理にかなった感情であり、それ自体は少しも非難されるべきものではない。多大な贈物をもらいながら、それについてなんの負債感も持たず、「あの人はお友だちだから」 ということですませられる人のほうが、よっぽど変である。 もっとも、世の中には、そういう一方的に貢がれることに慣れている人も、いないわけではないのかもしれない。まあ、どんなもんだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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