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テーマ:スイーツ★スイーツ(13127)
カテゴリ:***** 歴史 *****
チョコレートの歴史は、紀元前1000年頃のオルメカ文明までさかのぼります。
その後、チョコレートは、マヤ文明にも受け継がれました。 マヤ族はカカオ豆をすりつぶし、湯で溶いて飲みました。 さらにアステカ帝国では、ローストしてすりつぶしたカカオ豆を水に溶かし、 トウモロコシの粉を加えて、泡立てて飲むようになりました。 この時代、チョコレートを飲む特権は、王侯貴族たちだけに限られました。 マヤ、アステカと、カカオ豆は高価なものでした。 カカオ豆は通貨として流通し、優秀な奴隷ひとりは、カカオ豆100粒と交換されました。 その後、アステカ帝国を滅ぼしたスペインのコルテスは、カカオ豆を欧州に持ち帰りました。 そして、欧州で、チョコレートは再び変化しました。 チョコレートは、熱い湯で飲まれるようになり、バニラやシナモンなども加えられました。 さらに、チョコレートに砂糖を加えるという、大きな変化がありました。 欧州でのチョコレートは、特別な高級品として扱われました。 メソアメリカからのカカオ豆、そしてインドからの砂糖と、高価な輸入品が必要でしたから当然です。 王族は高価な飲み物にふさわしい、高級陶磁器製のチョコレート・カップを使いました。 太陽王ルイ14世と、その王妃マリー・テレーズは、チョコレートのステイタスを定着させました。 そして、その王族のチョコレート文化は、さらに新たな文化を生み出します。 それは、王族の暗殺の手段としてのチョコレートでした。 味の濃いチョコレートは、毒を混入されても気づきにくい飲み物でした。 青酸毒で変色する銀のスプーンも、チョコレートの色で変色が分かりにくくなりました。 それでも王族は、毒におびえつつ、チョコレートを飲みました。 王族はその特権を、それほど簡単に捨てようとはしませんでした。 その後、食べるチョコレートが開発され、チョコレートはお菓子に姿を変えました。 紀元前からのチョコレートがお菓子になったのは、1840年頃、ごく近世の出来事でした。 貨幣として、ステイタスとして、暗殺の手段として、様々な時代を歩んだ、カカオ豆とチョコレート。 カップなどの陶磁器や、銀のスプーンもチョコレートとともにありました。 お菓子となった、チョコレート。 これからチョコレートは、どの様な文化を残すことでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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