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西洋陶器を求めて - 内外の洋食器 -

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elsa.@ Re:豊田市 京町区民会館の観音様(推定 高見彰七 作) その1(06/13) New! 全国的に真夏日でしたね 金曜の夜、ゆった…
mogurax000@ こんにちは New! >プラモデル作りなどお得意でしたか? 子…
neko天使@ Re:豊田市 京町区民会館の観音様(推定 高見彰七 作) その1(06/13) New! こんにちは。 いつもありがとうございます…
jun さん@ Re:豊田市 京町区民会館の観音様(推定 高見彰七 作) その1(06/13) New! 今日は午前中と午後にヘルパーさんが2時間…

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2015.02.01
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カテゴリ:***** 歴史 *****
チョコレートの歴史は、紀元前1000年頃のオルメカ文明までさかのぼります。

その後、チョコレートは、マヤ文明にも受け継がれました。
マヤ族はカカオ豆をすりつぶし、湯で溶いて飲みました。

さらにアステカ帝国では、ローストしてすりつぶしたカカオ豆を水に溶かし、
トウモロコシの粉を加えて、泡立てて飲むようになりました。
この時代、チョコレートを飲む特権は、王侯貴族たちだけに限られました。

マヤ、アステカと、カカオ豆は高価なものでした。
カカオ豆は通貨として流通し、優秀な奴隷ひとりは、カカオ豆100粒と交換されました。

その後、アステカ帝国を滅ぼしたスペインのコルテスは、カカオ豆を欧州に持ち帰りました。
そして、欧州で、チョコレートは再び変化しました。

チョコレートは、熱い湯で飲まれるようになり、バニラやシナモンなども加えられました。
さらに、チョコレートに砂糖を加えるという、大きな変化がありました。

欧州でのチョコレートは、特別な高級品として扱われました。
メソアメリカからのカカオ豆、そしてインドからの砂糖と、高価な輸入品が必要でしたから当然です。

王族は高価な飲み物にふさわしい、高級陶磁器製のチョコレート・カップを使いました。
太陽王ルイ14世と、その王妃マリー・テレーズは、チョコレートのステイタスを定着させました。

そして、その王族のチョコレート文化は、さらに新たな文化を生み出します。
それは、王族の暗殺の手段としてのチョコレートでした。

味の濃いチョコレートは、毒を混入されても気づきにくい飲み物でした。
青酸毒で変色する銀のスプーンも、チョコレートの色で変色が分かりにくくなりました。

それでも王族は、毒におびえつつ、チョコレートを飲みました。
王族はその特権を、それほど簡単に捨てようとはしませんでした。

その後、食べるチョコレートが開発され、チョコレートはお菓子に姿を変えました。
紀元前からのチョコレートがお菓子になったのは、1840年頃、ごく近世の出来事でした。

貨幣として、ステイタスとして、暗殺の手段として、様々な時代を歩んだ、カカオ豆とチョコレート。
カップなどの陶磁器や、銀のスプーンもチョコレートとともにありました。

お菓子となった、チョコレート。
これからチョコレートは、どの様な文化を残すことでしょうか。

  



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Last updated  2015.02.01 18:29:17
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