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カテゴリ:鹿児島の歴史
上の墓標は日置島津家13代当主・久徴(ひさなが)文政2年(1819)~明治3年(1870)のもの。 島津家の分家から本家の家老になった一人で、筆頭家老を務めた。父の久風は、江戸時代後期に城代家老を努めている。久徴は薩摩藩11代藩主・島津斉彬に登用され、家老に抜擢された。一時筆頭家老とうまくいかず家老職を退くが大久保利通らの精忠組の支援を受けて安正6年(1859)筆頭家老となった。しかし公武合体や国父・島津久光による上洛などに反対したため、筆頭家老の職を失った。 下の墓標は日置島津家14代当主・久明のもの。 現在の墓標に近いものになってきている。 筆頭家老であった父・久徴が失脚し、隠居に追い込まれたため、家督を相続し当主となった。元治元年(1864)の第一次長州征伐では先陣総督として出陣した。明治元年(1868)からの戊辰戦争でも奥府各地を転戦した。維新後は島津斉彬を祀る照国神社の宮司を務めた。 日置島津家15代当主・繁麿の墓標 敷地内には墓標がたくさん残されている。 歴代住職のいわゆる坊主墓もある。 石仏像 大乗寺跡墓地を3回にわたって書いたが、あとで調べると歳久公の墓前に龍の立派な手水鉢があるとの情報もあるが、それらを見落としていた。まだまだモノを見る目が足りないと反省しきりである。 追記 2022年9月1日 このブログを御覧になっていたyokota115さんが、私が見落とした「歳久公の墓前に立派な手水鉢がある」ということから、昨日訪問して写された写真を送っていただいた。 見ると、想像以上に立派なものである。ここに追加してブログを完成することができた。 感謝! 参考文献・川口素生著 「島津一族」など。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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