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カテゴリ:自叙伝
1979年と1980年のこと。夏の時期の2週間、2年続けて、同じ喫茶店でアルバイトをした。
店の名前はメルバ(仮名)という。こずえ(仮名)という30過ぎぐらいの美人ママがひとりでやっていて、海外旅行に行く間、店番をやってほしいということだった。 店は地中海風というかスペインの「白い町」にあるような、白壁と木の内装のおしゃれな店。店名といい内装といい、何かこだわりがあるようだったが由来や理由は訊き損ねた。 こずえママの旅行先は中米のエルサルバドルということだった。今でもそうだが、当時としても日本女性の旅行先としてはかなり珍しい。ケーキ屋などに卸すカカオを仕入れるのも旅の目的のひとつだったようだが、なぜエルサルバドルなのかも訊き損ねた。 ところが、1980年の時にはなかなか旅に出発しない。エルサルバドルでは内戦が続いていたが、1980年に左翼ゲリラが勝利した。その経緯を見て渡航は危険と判断し、旅行はやめてしまった。だからその2週間は、前年とは違いママと二人で店を切り盛りした。 客のほとんどはママ目当ての男性客。新聞か雑誌を読み、タバコを吸い、ママをちらちらと見てコーヒー一杯で帰っていく。毎日のように来る客もいたが、みな無口で、冗談でママを笑わせて気をひこうなどという男はほとんどいない。美人のママを見るのが、彼らにとっては何よりの癒しであり、退屈で灰色な日常を忘れることのできる時間なのだろうが、それにしても何と小心なことかと思った。 こずえママは、夕方からは別の店でホステスをやっていた。社用族しかこない高級クラブということだったが、水商売の女性にありがちなくずれたところがまったくなく、美人なうえに長身でプロポーションもよかったので、たいそう人気があったようだ。週3回の出勤を毎日にしてくれと頼まれて悩んでいた。 数年後、とある喫茶店でママと偶然会った。男性二人と一緒で、そのうちの一人はママの喫茶店のアルバイトを紹介してくれた知人。三人でどこかで飲んだあと、コーヒーでも飲んで酔いをさまして帰ろうということだったのだろう。 男二人は、ひとりではママを誘う勇気がなかったので、忘年会か何かにかこつけて誘い出したにちがいない。そのくせ、お互いに牽制しあっている。酔いのせいかやたらに饒舌なのだが、あたりさわりのない話ばかりしている。10歳近く年長な男たちがこっけいに見えた。煮え切らない態度なのは、たぶん二人とも妻帯者だからだろう。どこかに罪悪感が残っていてストレートに口説けず、同じ場所をぐるぐる回っているのだ。 10歳近い年齢差があったので、それまでママを女性として意識したことはなかった。が、お酒に酔ったママはセクシーだった。ぼくの中で何かが弾けた。 酔った中年男の堂々巡りの話を無視して、ママを口説いてみることにした。どう口説いたかは忘れたが、ママみたいな素敵な女性を知ってしまったので、同年代から下の女の子にはまったく興味をもてなくなってしまった。これはママの責任だから、責任とってくださいよ、というようなこと言ったのだった。 当然、何言ってんの、おばさんをからかうもんじゃないわよ、と言われるものと思っていた。高級クラブのジェントルなお客と比べれば、ぼくなんか青二才だし、そもそも子ども過ぎて男に見えないと思い込んでいたからだ。 しかし中年男ふたりの前で堂々と口説いたぼくに、ママは、「いいわよ、責任とってあげる」と言ったのだった。 酔いのせいだろう。目がすわっていた。しかし、ぼくの腕をつかんで立ち上がり今すぐホテルに行こうといわんばかりの勢いだった。 想定外の反応に狼狽してしまったぼくは、次の言葉をつなぐことができなかった。あっけにとられている男二人を横に、目のすわったママを正面に、冷や汗が出てきた。 ママがああいったのは、酒の上でのことだろう。男二人をさしおいて、とんびが油揚げをさらうわけにもいかない。ここは何とかジョークで切り抜けよう。ただ、酒の上であっても、ほんとうに嫌な相手の誘いに乗ったりはしないだろう。脈はあるのだから、後日を期そう。 沈黙の10秒間にこう考え、何とかその場をやり過ごした。「飲みすぎて目がおかしくなっているんじゃないですかあ?」みたいなことを言ったと思う。 そんなことがあってまた数年。1年半ほど住んだ名古屋から一時帰省したとき、何だか無性に懐かしくなってママに電話をしてみた。そうしたら、「これから遊びに来なさい」と言う。 訪れたマンションには、ママと母、そして娘の3人がいた。娘は10歳ぐらいだろうか。とにかく、女三代が一緒に暮していて、男性の気配がない。ママが結婚しているとも、したことがあるとも、聞いたことがない。どういう家庭なのかナゾだ。やや引いたが、まあいいと思って持参したウィスキーを一緒に飲んだ。 1980年代の中ごろは、漠然とした社会不安が高まった。オウム真理教ができたのもこのころではなかっただろうか。いろいろなカルト宗教が特に中年女性を中心に急速に広まっていった時期だった。 母親や娘がいる場所で、色っぽい話をするわけにはいかない。世間話をするうちに、ママはどこかで聞いたことのあるような終末論を話し始めた。 一説によればというような話し方で、近い将来東西ドイツの衝突を契機に核戦争が起き人類は滅びるらしい、というようなことを言う。ほかのことを話していても、なぜか話はそっちの方向にいってしまう。 これにはどん引いてしまった。適当に相槌を打って頃合を見計らって帰った。住所録から削除すべき対象がまたひとり増えた、と思った。 それからまた数年。バブルが始まった。ママの店はより都心に移転し、やはりスペイン風の内装の高級感のある店になり繁盛しているようだった。 その店を見つけたのは偶然。同じ名前だし、ひょっとしたらと思って入ったらママがいた。たまたま客の切れ目だったので話すことができた。 マンションに訪ねたあと、ぼくが連絡しなかったのを、ママは気にしていたらしい。ぼくが引いてしまったのを、娘の存在を知ったせいだと思っていた。「なぜか、言えなかったのよね」と弁解ぽく話した。 不思議なのはなぜあの時、ママがOKしたのかということだ。酒の上とだけは思いたくない。男を見る眼のあるママは、自分でやっている喫茶店にせよ勤めていたクラブにせよ、ああいうところに客としてくる男には飽き飽きしていたのではないか。小心さや罪悪感が見え隠れする男ばかりの中、若くてお金もないくせに向こうみずなところのあるぼくが新鮮だったのかもしれない。 その後、こずえママと同じ年頃の女性と恋に落ちたので、それきりママとは会っていない。核戦争は起きず、人類は滅亡せず、いつのまにかママの店はなくなってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
April 28, 2008 07:59:51 AM
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