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カテゴリ:自叙伝
旅で大事なのは、ベストシーズンを知ることだ。
ベストシーズンを知る必要があるのは、ベストシーズンに訪れるのが必ずしもいいことではないからだ。ベストシーズンはどこも観光客であふれる。その街の素顔を見られる機会は極端に減少する。 ただローシーズンだからいいというものでもない。冬の北ヨーロッパ、真夏のパキスタン、台風シーズンの沖縄などは避けるにしくはない。 ベルリンからローテンブルクに寄り道をしてミュンヘンに戻ったぼくは、ウィーンに行くことにした。レイルパスがまだたっぷり残っているし、その後の旅程から考えて一泊くらいはできる時間的余裕があった。 11月下旬のウィーンは最悪だった。暗く寒い。旧市街は大きな建物が多いので威圧的だ。カフェをのぞくと老婦人がひとりで生クリームたっぷりのコーヒーを飲んでいる。何だかものすごく甘そうな大きいお菓子を食べている人もいる。不機嫌そうな人ばかりに見える。うろうろ歩いているうちに雪まで降ってきた。 国立歌劇場に行き、立ち見の席(というか場所)を確保した。ウィーン国立歌劇場は立ち見の場所が舞台正面で近い。料金も安く200円くらい。映画一本を立って観る根性があればじゅうぶん楽しめる。 場所を確保したあとムジークフェラインに行き、ウィーンフィルの演奏会を聴いた。こちらも立ち見だと200円くらいだったと思うが、1階の最奥で三方を囲まれているので音がこもる。国立歌劇場とちがって音はよくない。 昼間のオーケストラがほとんどそのまま午後のオペラで演奏していた。これはすごいことだ。こんなことを年中やっていたら、ルーティンワークになってあたりまえだろう。ウィーン・フィルの演奏は来日公演でも聴いたし、FMでは数え切れないほど聴いた。あるときはあまりにヘタなオーケストラなので逆に興味をひかれて最後まで聴いたらウィーン・フィルだった、ということもあった。感心することはあっても感動したことがない。 ウィーン・フィルに群がる日本人はウィーン・フィルという記号を消費しているだけだ。マーラーやブラームスが指揮したこともあるモーツァルトやベートーヴェンが活躍した音楽の都のオーケストラだから「すばらしい」とかんちがいしている。ジェームズ・レヴァインの大甘な指揮を見ながら思ったのはそんなことだった。 深夜にウィーン西駅で彼女と待ち合わせていた。次の日一緒にウィーンを歩くつもりだった。しかし、雪と寒さと暗さで閉口したのでミュンヘンに帰ることにした。時刻表を調べると、彼女が乗る予定の電車の出発時間の30分前に帰り着くことができる。ミュンヘン駅で電車に乗ろうとした彼女を見つけ、説得してその日は引きあげた。 2011年5月に約20年ぶりに訪れたウィーンはパリにも負けない「花の都」だった。街には笑いと歌があふれ、深みを増した新緑が美しかった。若い女はのびのびとした肢体を惜しげもなくさらし、恋する幸福を全身から発していた。老人が茶をすする暗くて寒い街という印象とはおおちがいだった。 そんなことから考えた。旅にふさわしい季節はハイシーズンでもローシーズンでもなく、ミドルシーズンではないだろうか。しかも、日が短くなる秋よりも春。四季のある地域では、冬のあとの春の訪れというのはうれしいものであり、気分も明るくなるからだ。旅人に対しても優しくなるのではないだろうか。 11月のウィーンは寒すぎ、5月のウィーンは暑すぎた。四季を体験してはじめてその土地のことがわかるというのはその通りだろう。しかし、そう何度も訪れることがかなわないとしたら、いわゆるベストシーズンとされる少し前の時期に行くのが、宿に困ることもなく賢明だと思う。 一般に旅行のベストシーズンとされるのは、ウィーンでは5月から9月。ちょうど音楽のシーズンとは反対だ。ということは、4月、その時期がムリであれば10月が旅行に最適な季節なのだろう。 ミュンヘンを発つ、つまり彼女と最後のときを過ごすのは航空券の日付から逆算すると一週間を切った。せめてこの間は「思い出」を作ろうと思った。ウィーン旅行はそのひとつだったが、ウィーンはやめてヴェネツィアに行くことにした。ミュンヘンはオペラをのぞくとさほど音楽会は多くない。それでも、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(ソプラノはジェシー・ノーマン)、バイオリンのティモシェンコとピアノのクラウス・シルデ、この時期多い教会でのモーツァルト「レクイエム」をきいた。 この「レクイエム」はどうもアマチュアの団体だったようで、お世辞にも上手とはいえなかった。日本なら、無料でも関係者以外、みな途中で帰ってしまうようなレベルだった。にもかかわらず、聴衆は真剣にきいている。 このとき、音楽のあり方が日本とはちがうということに気がついた。「レクイエム」をききにきたドイツの聴衆は、日本人のそれのように商品としての、コンサート・ピースとしての「レクイエム」をききに来ているのではない。クリスマスのこの時期に「レクイエム」をきくことが、たとえていえば座禅をしたりするような、気持ちを整え、心を洗い清める「行事」になっている。バレエ「くるみ割り人形」やオペラ「ヘンゼルとグレーテル」がこの時期よく上演されるのも、子どもに最適な演目であるだけでなく、おとなにも忘れかけている大切なものを思い出させる力がこれらの作品にあるからだろう。年末に「第九」が集中的に演奏される日本の習慣はグロテスクだが、教会でへたくそな「レクイエム」をまわりのドイツ人と一緒に神妙になってきくのは、演奏の上手下手を超えた音楽の価値に気づかされる体験だった。 何かヨーロッパ人には楽器の音や響きそのものに対する畏敬と崇拝の気持ちがあり、それはキリスト教とも切っては切れない関係にあるように思う。音楽とかメロディの話ではない。楽器の音そのものに、何か聖なるものをききとろうという姿勢が感じられるのだ。一見、おとなしくきいている日本人が真剣なようでいて実は音の響きの向こうにあるものに無関心なのとは対照的だ。 いや、日本人も音に謙虚に耳を傾けていた時代があった。ぼくが音楽会に通い始めた1970年の聴衆はいまとはまったく別だった。真剣さがまったく異なっていた。ああいう聴衆は、1980年代後半から急に少なくなっていったように思う。つまり、経済のバブル化を境にして日本人は大きく変質したということだ。 その影響はすべての世代に及んだと思うが、若い世代ほど大きな影響を受けたにちがいない。 豊かさとトレードオフの関係にあるという言い方もできると思うが、ドイツは日本と同じか、むしろ豊かな感じがする。豊かであるにもかかわらず、精神的な価値を大事にする度合いは日本人よりも強い。それが国民性や民族性に由来するのか、宗教が関係しているのか、考えるほどにわからなくなっていく。ベルリンの労働者は「われわれもニキシュが指揮するベルリン・フィルがききたい」と武装蜂起したが、しかしその労働者たちは経済危機の中でナチス党員になっていく。 「アウシュヴィッツの音楽隊」は、楽器の演奏ができたためにたまたま収容所から生還した人の「証言」である。モーツァルトの音楽をきいたその人物がガス室のスイッチを入れる。パウル・ツェランの詩「死のフーガ」はこうしたエピソードが基になっているという気がするが、音楽をはじめとするすべての芸術の限界、危機における無力さを物語っている。 戦前のウィーンに学んだ文化人類学者の石田英一郎は、ドイツ・オーストリア人の中でも最も誠実で善良だったのがナチス党員だったと著書に記している。民族浄化のおそろしさはここにある。自分が信じる「正義」の相対性を疑うことのない人間は、潜在的にはみなナチスになる可能性があるということだ。 地下鉄駅から彼女のアパートに帰る途中の壁には、「ドイツ人はみなナチスだ」という落書きがあった。移民が書いたものかもしれないが、知的で公徳心の高いドイツ人に感心しつつ、「そういうものかもしれないな」と思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 28, 2013 05:57:18 PM
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