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カテゴリ:百人一詩
「燃えるモーツァルトの手を」
吉増 剛造 燃えるモーツァルトの手をみるな 千の緑の耳の千の緑の耳 生活は流星だ!(あるいは生活は悲惨だった……)と インドから帰ってきた友人が囁いた 傷だらけの緑の耳のこと、ガンジスの黄金の空虚のこと(悲惨だったのか……) 流れる死骸の 素顔に接吻する水の牙! 彼には聞こえなかった千の緑の耳の千の緑の耳のことを考える 我々の伝説、我々の聞く物語に偽りが多い 見るな、悲惨な眼で <なにも見えない、となぜいわぬ> 多くの友人よ 悲惨を見るな、輝くイマージュを見るな 燃える海上の道なんて見えない 愛が見えるなんて、星が見えるなんて…… ああ 燃えるモーツァルトの手を見るな <ガータをはずして下さい> <もう旅はしませんから> 決して振りかえってはいけないのだ 千の緑の耳の千の緑の耳の 音という音のなか 音という音のなか 音という音のなか 光が飛沫をあげて回転する 彗星がときに上空を通過する 人間がときにかたわらを通過する 日常の超宇宙性について、巨大な渦巻きについて、破壊について、創造について 手の手、足の足、風の風、運命の運命をもって 一語、一行で語らしめん くりかえせ、くりかえせ、くりかえせ…… そして 死の爆発音 眼のなかの血管を死が歩いてゆく 一瞬を追う そして また星が飛びちった 空全体が日記帖だ! ふりかえるな! 吉増さんは常に現代詩の最先端を走っている詩人さんです。本当は最近作を紹介したいのですが、あまりにエクリチュールあるいは「視読的言語」すぎて、吉岡実さんの最近作と同様ここで紹介するにはタグの手に余ります。 ということで昔の代表作を一篇。散文的にいえば「インドが悲惨であるなどと俗なことをいうな」の一言ですむのでしょうが、それを詩的音楽で展開させるとこのようになる、というひとつの見本として捉えたいと思います。 ただこういう詩は人によってはすごく疲れるのでしょうね。自分はこの「頭の中をかき回される快感」がたまらなく好きなのですが、たいていの人は詩よりも本物の音楽でその快感を味わっているのではないでしょうか。嗜好性の問題かもしれませんが。 この詩をとりあげたもうひとつの理由。 「文体」の問題です。 いろいろな詩を読んでいないと、作者名を消してそのまま流通できる作品は必ずしも多くはありません。さすがに宮沢賢治とか草野心平とか谷川俊太郎とか高村光太郎なんかはさほど作品を読んでなくても詩を読んで作者名がわかりますけれどね。小説で言えば夏目漱石とか芥川龍之介とか太宰治とか三島由紀夫とか。 じゃあそこから漏れた「超」一流でない作家さんたちの作品に見るべきものはないか、というとそう断定もできないわけで、吉増さんのこの詩もぱっと目には寺山さんの作品かと思うようなところもありますが、数を読み込んでいけば区別がつくようになります。そこから詩が立ち上がることによって詩人の名前が認知されていく。「超」一流以外の作家さんは、小説書きにしろ詩書きにしろ、そうやって地味に地味に浸透していくんだろうな、と思いました。 まあ、一度読んだら文体が忘れられない、武者小路実篤さんがどの程度の作家か、あるいは開拓分野が違うにしろやはり独特の文体をもつねじめ正一さんが吉増さん以上の詩人か、という異論反論もあると思うのですが、もとより賛同を求めるつもりはありませんのでご勘弁願います。 公開しているとはいえ、これは日記ですから。 ついでに言うと、「私的に」読んでいていつも頭をかき回されるベスト5(順不同)は、以下のとおりです。 ・SF ・現代詩 ・三原順 ・小林よしのり ・安部公房/イタロ・カルヴィーノ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.02.25 19:50:42
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