|
カテゴリ:百人一詩
[わたくしどもは]
宮沢 賢治 わたくしどもは ちやうど一年いつしよに暮らしました その女はやさしく蒼白く その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見ているやうでした いつしよになつたその夏のある朝 わたくしは町はずれの橋で 村の娘が持つて来た花があまり美しかつたので 二十銭だけ買つてうちに帰りましたら 妻は空いていた金魚の壺にさして 店へ並べて居りました 夕方帰つて来ましたら 妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑いやうをしました 見ると食卓にはいろいろな果物や 白い洋皿まで並べてありますので どうしたのかとたずねましたら あの花が今日ひるの間にちやうど二円に売れたといふのです ……その青い夜の風や星、 すだれや魂を送る火や…… そしてその冬 妻は何の苦しみというのでもなく 萎れるように崩れるように一日病んで没くなりました 最後に御紹介する一篇はこれにしようと最初から決めていました。 もっとはっきり言うとこの詩を紹介したいがためにここまで続けてきた、といっても過言ではありません。 賢治の唯一の詩集といえば生前に刊行された『春と修羅』ですが、自分は「詩ノート」に書かれたこの未刊詩篇の方を愛します。[ ]でくくっているのも、もともとタイトルがついていなかったので、詩の第一行をタイトル代わりにもってきたわけなのでした。 生涯独身を通した賢治ですが、決して異性に興味がなかったわけではありません。生前「自分は一滴の精液も洩らしたことがない」と言っていた熱烈な日蓮宗の信者だった彼もまた、人並に春画を愛した正常な男性でありました。だからこそ「修羅」なのでありましょうが。 ついでにいえば、この詩に出てくる女性像は、自分にとっても永遠の憧れであります。 それでは、最後までご静聴ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.13 11:35:04
コメント(0) | コメントを書く
[百人一詩] カテゴリの最新記事
|