■行ってきたよ。
4月25日の日記で行く宣言をしましたが、お芝居、行ってみました。 すげーつまんなかったよ。 芝居ではなく、お話会といった趣きであった。 ストーリーテラーさんが舞台に一人立って、2つのお話をかたるというスタイル。 内容がオカルトなので、怪談と言うべきか。 イナガワジュンジさんがやってるようなこと、といえばわかりやすいかも。 俗っぽくて、芸術性はなかった。 けどまぁ、良い。 話の内容も、昔のテレビ番組みたいで目新しさはなかったが、まぁそういうのもアリでしょう。 つまんなかったのは、どこにも「技」が見受けられなかったせいだ。 まず音。 いかにも怖そうな音(お化け屋敷風)が流れていたけど、なんとなくモワモワと流しっぱなし。 全編にわたってかかりっぱなし。 これはもう、効果音じゃぁなくて、ただのBGMだね。 とても手抜きに感じた。 そして、うるさいのなんの。 もっとダイナミクスをつけたり、間を意識したりすればよいのに。 そして言葉。 ストーリーテラーさんの話し言葉が、全然スマートじゃなかった。 脚本をきっちりみっちり覚えた、というふうではなく、アタマにあるアラスジに沿って自由に話しているふうの、口語だった。 これも、とても手抜きに感じた。 山場がないし。 わりと噛んだし。 しかもときどき日本語がおかしかった。 話し言葉というのは、たとえば取材のテープおこしなんかをすると一目瞭然ですが、話したとおりに文字にすると、かなりおかしいものです。 普段の会話では、相づちや質問でお互いに補填しあいながら話すので問題ないのだけれども、舞台から一方的に語られる言葉としては、幼稚に思えた。 また、関西のお人なのか、その幼稚さに特徴があり、 「桜がぼーん、ぼーん、ぼーん」 とか 「桜がぽーん、ぽーん、ぽーん」 とか、 「死んだ人の写真が、ばばばばばばば、ばーっ、ばーっ、ばばばばっ」 などとおっしゃる。 関西人に道をたずねたら、「まっすぐどーん行って、右にまがってどーん」と答えたりするそうですが、それの亜種かと思うんだ。 桜の木が立つ様子は、「ぼーん」あるいは「ぽーん」なのかと、笑えた。 まぁ、味といえば味なのかもしれないが、舞台なのだから、 前者は、 「桜の古木が1、2メートルおきに2、30本も並んでたっている場所」 などと言ってくれれば想像しやすいし、 後者は、 「亡くなった方の写真がずらりと隙間なく並んでおり、それは一瞬、言葉を失うほどの迫力がある光景だった」 などと言ってくれればわかりやすいのになぁ。 一話と二話のあいまには、「プロモーション」と称して、 劇団の女の子が着物をきて、怖い顔をして、トビラのかげからこっちを睨み、そのうち雷の音がばりばりばりっと鳴って爆音で驚かす、 というオチの時間が、2分か3分ぐらい、もうけられた。 これも、かなりの手抜きに思えた。 「技」が感じられなかった。 というわけで、話芸というにはモノ足りず、芝居と呼ぶには脚本が感じられず、怪談というほど怖くもなく。 ストーリーテラーさんご自身は、この舞台を「オカルト」と呼んでおり、 「オカルト=怖がるだけではなくしみじみと考えさせられるような要素を含むもの」 と定義なさっていたが、実のところ、しみじみと考えさせられるような要素もなく。 昔のテレビ番組の二番煎じのような内容にて、一話が30分~40分ぐらい。 19時半から始まって、21時前にはお開き。 これで1,500円は高かったなぁ。 うーん、高かった。しみじみ(違う意味で) あ、そうそう、この舞台、2夜連続開催でワタクシが行ったのは二日目だったのですが、前日は、「人じゃないお客さん」がいらっしゃったそうです(笑)。 そして、会場の壁にはなにやらいわくがあるそうで、写真を撮ったら「映る」かもしれない、とのこと。 そう聞いて、ケータイでぱしゃりと撮影をしていらっしゃるお客さんがおり、すごくいい人だなぁとワタクシは思った。