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Mar 23, 2007
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カテゴリ:小説 上杉景勝
  「何と仰せです」  両奉行が顔色を変えた。

「何ゆえの討伐にござる、拙者には得心が参らぬ」

  増田長盛が息巻いた、彼は大和郡郡山城主で三十万石を領している五奉行

の一人である。 「拙者も反対にござる」

  長束正家も猛然と反駁した。彼は水口五万石の小名ながら五奉行である。

  二人は日頃の家康の、独走に嫌気がさしていた。

「ほうー、ご両所は会津征伐に異を唱えなれるか?」

  家康が肉厚い瞼を細め両人を眺めやった。

「内府には私曲が多うござる」  珍しく長盛が家康を非難した。

「わしに私曲が多いと云われるか?」  家康がぎらりと眼を剥いた。

「豊臣家安泰のため、故太閤殿下は勝手な縁組はならぬと遺命を残された。

それを内府は無視され、我等五奉行の印もなく縁組を為されておられる」

「・・・・・」  家康は口を閉ざしている、無言こそ最大の威圧である。

「前田家の芳春院さまの件もござる、豊臣家の人質である筈に、勝手に江戸に

お連れする。我等奉行をいかが見ておられます」

「・・・・わしは家臣の本多正信に、いかなる事もご相談いたすように申してござ

る。手違いにござるゆえ、わしからご両所にお詫びを申す」

  天下の実力者に詫びられ、両人は言うべき言葉を失った。

「こたびの会津攻めじゃが、明日にも本丸に参上いたし、秀頼公に会津征伐を

奏上いたす積もりにござる」

  そう云うことか、またもや前田家同様に秀頼公の名代とし、豊臣家の逆臣と

して、上杉景勝殿を討ち果たすか、考えたものだ。

  家康の傍若無人な態度に、増田長盛は怒りで蒼白となった。

「上杉討伐の名目はなんでござる」  長束正家が訊ねた。

「わしへの愚弄じゃ」  家康が平然と答えた。  「何とー」

「仮にも豊臣家の筆頭大老にござる、そのわしの上洛命令を無視いたした。これ

は反逆そのものじゃ」

「それは私怨にござる、確たる謀反の証拠でもござるのか?」

「黙らっしゃい。関東二百五十万石の大名で豊臣政権の執行官の、わしの命令

に叛いたならば、これは豊臣家に対しての謀反じゃ。明日の件は淀殿と秀頼公

に、よしなに伝えてもらいたい」

  一方的に二人に命じ、肥満した躯を持て余すように退出していった。

「悔しいが、豊臣家の天下も終ったの」  長束正家が無念の涙をみせていた。

「治部少輔はいかがしておる」  「佐和山城の改築をいたしおる」

「正家、わしは佐和山城に使いをだそう、奴の頭脳がこの急場の手立てを考え

だしてくれよう」  増田長盛が決断した。

「あの、横柄者(へいくわいもの)が懐かしいわい」

  その晩、西ノ丸は遅くまで灯火が消えなかった。家康は家臣の主だった者と

極秘の軍議をもようしていた。

  会津には七口の攻め口がある。南山口、白河口、信夫(しのぶ)口、米沢口、

仙道口、津川口、越後口の七道である。

「軍勢の分散は避けねばならぬ。主力は白河口じゃ、わしと秀忠が当たる。仙道

口は佐竹義宣、信夫口は伊達政宗、米沢口は最上義光じゃ、越後口は前田利

利長と堀秀治に命ずる」  「仙道口が、いささか危ういかと」

「正信、佐竹義宣の件は考えてある。諸大名には江戸に参集を命じよ、出来る

かぎり早くじゃ」  「上様のご出立は何時頃にございます?」

「御本丸さまに暇乞いをいたし、準備の出来しだい大阪を離れる。正信、先鋒

大将は豊臣恩顧の福島正則、細川忠興、黒田長政に命じよ」

「畏まりました」  本多正信が痩身をみせ肯いた。

  五月三日、秀頼に暇乞いをした家康は、諸大名に会津出兵を命じた。

  いよいよ、徳川さまが会津討伐に向かわれる。大阪城下はその噂がたちこめ

た。家康は陰湿な笑みを浮かべている。

  わしが大阪をあとにして会津討伐に向かえば、光成め、必ず挙兵するだろ

う。わしは、それを首を長くして待っておる、これで天下が、わしの掌に転がって

くるのじゃ。併し、謀臣の本多正信は楽観できずにいた。

  上杉勢は先の前田家とは違う、景勝という男は無類の戦狂い。その配下の

将兵は、景勝の秋霜烈日の気象を、敵勢よりも恐れていると云う。

  聞くところによると富士川の渡船の折、供の者が乗りすぎ川の半ばで船が

傾いた。景勝が無言で杖を振るうと、泳ぎの出来ない者まで流れに飛び込ん

だと云う。

  さらに天下を二分する軍師の直江山城守と、謙信に育てられた歴戦の武将

が控えている。  「心せねばな」  正信が一人呟いた。

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Last updated  Mar 23, 2007 10:05:36 AM
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