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Apr 23, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」 (77)


 八月二十三日に伏見の上杉屋敷に着き、ただちに石田三成と会談した。

「景勝さま、よく参って下された」

 才知溢れ、事に同じぬ石田三成がほっとした顔をして挨拶をした。

 秀吉の死は三成にとり、計り知れぬ打撃を与えたのだ。完全に後ろ盾を

失い、孤立無援の境遇に陥った感じをもったのだ。そこに景勝が上洛して

きた。三成にとってこれ以上、心強いことはなかったのだ。

 三成が太閤の遺言や誓紙の交換等を詳しく説明した。

「殿下の遺骸はまだ伏見城に安置されておられますか」

「左様、遺言の朝鮮渡海の軍勢の撤兵命令が発令されておりませぬ」

 三成が憂い顔で告げた。

「申し訳ござらぬ、五大老の拙者が遅参した所為ですな」

「それもございますが、翳で家康が動いている気配を感じます」

「いよいよ徳川の狸爺が本領を発揮いたしますな」

「景勝さまも、そう思われますか」

 知恵の固まりのような三成が顔を曇らせた。

「拙者は明朝に伏見城に登城いたす、お手配をお願い仕る」

 こうして秀吉死去後、五大老が初めて顔を揃えた。

「景勝殿、遠路大儀にござった」

 家康が慰労の言葉をかけ、肥満した体を景勝に近づけてきた。

「転封の為に政務をおろそかにして申し訳ござらぬ」

「いやいや、このように早く亡くなられるとは思いもせぬことにござった」

 肥満した体躯の家康が柔和な笑みをみせているが、眼が笑ってはいない。

「五大老さまに相談がございます」

 石田三成が五大老の脇から声をかけた。

「何事じゃ」

 大納言の前田利家が痩身の躰に似合わぬ太い声をあげた。

「朝鮮の件にございます。小西行長より連絡がありましたが、日本軍は

敗色濃厚とのこと。幸いにも中納言景勝さまもここに居られます、ここで

五大老の了解を賜り撤兵命令を出しては如何にございます」

「流石は五奉行筆頭の石田殿じゃ。前田殿、殿下の遺言です。朝鮮からの

撤兵命令を出しましょう」

 すかさず家康が三成の案に賛同した。

「そうじゃな、殿下の喪を隠し命令をだしましょう。愚にもつかぬ戦であった」

 前田利家が愚痴を述べ賛意を示した。

 八月二十五日、徳川家康と前田利家の連署の撤兵命令が発令され、これ

を持って石田三成と浅野長政が博多に赴いた。

 五奉行達は朝鮮在陣の諸大名の苦労をねぎらい、太閤殿下の病が快癒し

たとの偽情報を流し、朝鮮軍の足止めを計った。

 こうして秀吉の喪を隠し石田三成は、朝鮮への使者として美濃高松城主の、

徳永寿昌と豊後の蔵入地代官の宮木豊盛を派遣した。

「太閤殿下の死は味方の諸候にも洩らすな」

 三成は二人に厳命していた。

 そうした中で景勝は上杉屋敷で秀吉亡き後の、大老の政務をこなしていた。

 巷間、人々の口から太閤殿下の死去の噂の飛び交うなかでの政務は、

戦塵に明け暮れた、景勝の心身にとり大きな負担となっていた。

 兼続を呼び寄せたい誘惑にかられるが、伏見城でみる家康の尊大な態度を

思いだすと、国許の整備が最優先と考え直し我慢をしていた。

 いずれは戦う運命にある二人である。そう思うことで気を紛らわせている。

 朝鮮では日本軍が最後の力を出しきって善戦していた。

 三万八千七百名もの首級をあげた、島津勢が大勝利をあげていた。

 さらに小西勢と加藤勢も明国、朝鮮の連合軍を破り意気軒昂としていた。

 これが日本軍の最後の足掻きであった。

 そうした最中に撤兵命令を受け、十月中旬から順次、朝鮮から将兵が帰路

についた。最後尾は島津勢で彼等は小西行長勢の撤兵を助け、殿軍となって

甚大な損害をだしながらも、撤退を終えていた。

 この戦いで島津勢の猛烈な戦闘をみた、朝鮮軍はしまずと恐れ近づく

ことなく、呆然と見送るのみであった。

 朝鮮の兵士から見たら、島津勢は死者の群れのように不死身で猛烈な合戦を

する戦士に映っていたのだ。

 こうして皮肉にも秀吉の死去で慶長の役が終結をみたのだ。


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Last updated  Apr 23, 2012 12:16:22 PM
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