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Nov 5, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」  (102)

            (会津征伐)


 家康は西ノ丸で一人、考えに耽っている。

 明日は本丸にあがり秀頼さまに暇乞(いとまご)いする。

 そのあとは直ちに出陣をする、わしが大阪を去れば阿茶ノ局や側室に

難儀がかかろう。家康は大阪城に数人の側室を呼び寄せていたのだ。

 それが彼を悩ましていた、わしが出陣すれば石田三成が動く、それは

紛れもない事実として受け止めていた。

 わしの大義名分は、あくまでも豊臣家の為に会津征伐の出陣をするの

だ。幕下に連なる諸大名も、妻子を人質として大阪城に残して行くのだ。

 彼等の断腸の思いも分かるだけに、家康一人が連れ去るなどという訳に

はいかない。

「不憫じゃ」

 独り言を呟き廊下に控える小姓に命じた。

「佐野肥後守を至急呼び寄せよ」

 家康はこの男に側室を任せると決意した。

 翌朝、家康は秀頼公の許に伺候し、会津上杉家への出陣を報告をした。

 それは形式的な儀式であった。こうすることで家康は正式に秀頼公の

名代として、豊臣家の叛逆者の上杉景勝討伐の資格が得られ、豊臣家

の家臣である諸大名を率いて行けるのだ。

 幼い秀頼は近臣に教えられたとおり、「苦労である」と、幼い声で述べ

慣例としての餞別を下賜した。

 これで儀式は終わり、家康が正式に秀頼公の名代となったのだ。

 慶長五年六月十六日の早暁、家康は諸大名より先に大阪を出立した。

 彼は京橋口から、三千名の徳川家臣団を率い城門を出た。そのまま

天満の河岸から船に乗り、淀川をさかのぼった。

 行き先は伏見城である、そこで彼は成すべきことが一つあったのだ。

 御座船には葵の定紋を染め抜いた幔幕が張られ、船上には旗、指物が

風に翻り、御座船を両側より人夫たちが綱で引いて行く。

 その様子を深編笠の武士が二人、眺めていた。

「兵庫、奴め伏見城に向かうな」 声に寂びた色気が感じられた。

「左様」

 この二人は石田家の島左近と舞兵庫であった。

「伏見城の城代は鳥居元忠(もとただ)であったの」

「左様にございます。鳥居は手ごわい武将で聞こえております」

「挙兵の暁には真っ先に伏見城を陥さねばならぬな」

 二人は声を低め密談し、去りゆく家康の御座船を見つめていた。

 御座船は夕刻に伏見城に着いた。

「暑さと船酔いでまいった」

 家康は誰とも会わずに、湯漬けを口にし寝所に入り疲れの為に熟睡した。

 翌朝は老人特有の癖で、早暁にははや目覚め跳ね起きた。

 よほど眠ったのか、疲労の欠けらも感じられない。

 家康は小姓も連れず、肥満した体躯で長廊下を軽々と歩んで行く。

 近習の者があわてて追従した。

 家康は千畳敷と異名された大広間に出た。ここで故太閤殿下に謁見した

ものだ、思い起こすと忌々しさと悔しさが込みあげてくる。

 この金殿玉楼と形容できる、太閤自慢の大城を灰にしてやる。

 その思いが家康を支えていた。

「三成、わしが会津に去ったら挙兵いたせ」

 独り言が口をついて出た。

「誰ぞ、鳥居彦右衛門を呼べ」

 家康は待つ間、上ノ間に座してみた、気持ちの良いことじゃ。

 天下人になればこのように気持ちの良い思いになれるのかと思い、

独りでに笑みがこぼれてきた。


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Last updated  Nov 5, 2012 11:11:22 AM
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