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カテゴリ:旅行(日帰り含む)
先日、息子の引っ越しの手伝いに行った帰りに立ち寄った下関での話の続きです。
せっかく下関に来たのだからどこへ行こうかと考えました。一つは鉄道ファンの端くれなので、行きたかったところに行ってから、下関駅からバスで唐戸市場へ。昼ごはんにはまだ早いし、奈良にも早く帰らないとまだまだ距離は長いし・・・。いろいろ考えたいたときに目に入った看板がこれ。 そうだ、ここには巌流島があるんだった。ちょうど行ったことがないし、行ってみようということで切符を買って船に乗り込みました。 この船です。平日ということもあって乗り込んだのは私を含めて4人でした。 船は出航して関門海峡を西へ向かいます。10分くらいで巌流島に到着。 巌流島は無人島、こんな感じの岸壁が整備されています。 巌流島に上陸、無人島ということでなんだかワクワクしました。 巌流島は、面積が103,000平方メートルで海抜も高いところで10m程度とのこと。元々はもっと小さくて17,000平方メートルだったそうですけど、明治から大正にかけて埋め立てられて広がったそうです。 この写真をみていただくと、島の緑色でないところは立入禁止区域となっています。私有地だそうです・・・。 その私有地の持ち主は、この対岸にある企業だそうです。 対岸の企業には、たくさんのクレーンが並んでいて大きな船が建造中でした。 その企業名は、三菱重工下関造船所です。今回北九州への旅で利用した阪九フェリーの「やまと」もここでつくられたそうです。 上陸して見つけた案内看板には、あの坂本龍馬もこの巌流島に立ち寄っていたのではないかとのこと。坂本龍馬は日本で初めて新婚旅行に出かけた、なんて言われていますから「決闘の地」としても有名なこの島に上陸していたかも、ってね。 この巌流島の正式名称は「舟島」。島の形が船の形をしているからそう呼ばれているそうで、「巌流島」の名前の由来は、宮本武蔵との決闘で敗れた佐々木小次郎の流派「巌流」からよばれているとのことです。 巌流島は、前述のとおり私有地がある関係でぐるりと一周することはできませんが、遊歩道がきちんと整備されています。真正面に関門橋を望めるポイントですが、天気が回復しているのですが雲が多いですね・・・。 それがもっと晴れていたら、こんな感じで見られるんでしょうね。 巌流島といえば、先にも出ましたが宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘ですよね。私は歴史は詳しくないのですが、子の決闘は宮本武蔵の方から申し込んだとの話が往路に乗った船の放送で紹介されていました、私はてっきり佐々木小次郎側が持ち掛けて、時間通り現れない宮本武蔵にしびれを切らした佐々木小次郎って勝手に解釈していました。 宮本武蔵と佐々木小次郎の像の近くの砂浜に、宮本武蔵が乗ってきた小舟をイメージした船が置かれていました。すっかり朽ちてしまっていますが、実際に使われていた船を移設したそうで・・・。 ところで、巌流島といえば「決闘の舞台」。先述の宮本武蔵と佐々木小次郎はもちろんそうなのですが、プロレス好きの方ならピンとくるでしょうね。そうです、1987年10月4日に行われたアントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの対戦ですよね。実は私はリアルタイムで見ていなかったのですが、youtubeで探して冒頭部分を紹介していたのをみました。多分、この広場のあたりで行われていたのではないかと思いますが、当時は観客を入れない無観客で行っていたんですね。 それにしても、往路の船の中での放送でも紹介していたのですが、『巌流島の決闘といえば、アントニオ猪木とマサ斎藤・・・』というアナウンスが流れたときには、真っ先に思い出したのがプロレス大好きなタレントの有田哲平さん(くりぃむしちゅー)を思い出して、思わず笑いそうになりました。 さて、ひたすら整備されている遊歩道を歩いて行きます。対岸は九州です。 終点までやってきました。屋根がある休憩所がありました。 終点部分からみた三菱重工下関造船所です。 なぜ島の半分近くが私有地になっているのかよくわかりませんが、この巌流島にも大きなクレーンが設置されていました。 復路の船では、船の上に上がって外を眺めていました。目の前に関門橋を望みながら元の港へ戻ります。 関門海峡は、多くの船が通過していきます。 その種類も様々で、大きなクレーンを載せた船ともすれ違いましたし、大きなコンテナ船も通っていきました。 唐戸市場の近くまで戻ってきました。 観覧車のところには、水族館の「海響館」がありましてそこにも行きたかったけどな・・・。 巌流島へ行く船は40分ごとに出ていますので、その間にゆっくり見て回ることができました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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