頑張る「源」
今日は久々に実家に立ち寄った。ここ最近の仕事の話をするとそれを嬉しそうに聞き入る両親。あれも食べろ、これも食べろとどんどん私を太らせる。そして最後はあれこれ持っていきなさいといつもどおり色々と持たされた。数時間後、ありがとうを言うために実家に電話をした。母が言った。「ママはね、 直子(私)が産まれる時 麻酔に入る直前まで 神様にお祈りしていたの。 どうか女の子を授けてください。 どうか女の子でありますように。 そうすればみんなが幸せになりますから。 って」父と母の結婚には父方の両親の反対が大きな壁として立ちはだかっていた。結果的に許しを得て結婚はできたけれどこれから母が父の家で幸せになるためには女の子が必要だというのが母の直感だった。なぜなら、父は男三兄弟の次男。その三兄弟を産んだ祖父母は実は女の子が一人でも欲しかったのだそう。そして祖父母にとっての初孫もやはり男の子だった。だから反対されて結婚した母に女の子が授かれば祖父母にとって初めての「女の子」誕生となりきっととてもかわいがられて、母もより、祖父母に受け入れてもらえるだろうだから「女の子が生まれればみんなが幸せになる」と祈っていたという。母は帝王切開だった。麻酔が覚めて「女の子ですよ」と聞いたとき「ああ、これで幸せになれる」と思ったのだそうだ。「そして、今、ママはその通りになったわ。 ・・・そんなことをね、今、お料理しながら思い出していたの」涙が出た。はじめて聞く話だった。私は実際、祖父母にかわいがられた。特に祖父には字の読み方から自転車の乗り方まで教えてもらった。どうやら私は「みんなを幸せにするために」生まれてきた女の子でそしてその役割が果たせていると母は昔を思い出ししみじみと感じてくれていたのだ。「なんだかママも涙が出てきちゃったわ」私も人目ある雑踏で歩きながら涙ぐみちょっとうつむき加減・・・夜、出かけていた父は会っていた友人達に昼間聞いた私の仕事の宣伝をしてまわったといまさっきの電話で言っていた。「パパは本当に安心したよ」私の仕事の話を思い出しながら噛み締めるように何度も繰り返していた。自分の為・・・世界の為・・・いや、何か大きな力に動かされて・・・自分が頑張る源はなんなのだろうと考えていたここ数週間「両親の為に頑張る」そんな頑張りがあってもいいかもしれないとあらためて思った。いや、この世の中で少なくとも一つだけ確かな私の役割は「両親を幸せにすること」なのかもしれない。子どもがいない今の私にとって確実にこれだけは私が生まれたその瞬間から役割として与えられたのだ。使命感を感じてやっていることも時には虚構に感じてしまう弱い自分を発見する。何のために生きているのか生きる意味はなんなのか先人達が繰り返し問うてきた永遠の命題。神に一つだけ質問ができるとしたら何を聞くかと聞かれたアインシュタインは「なぜ、この宇宙を作ったのですか?」と聞くという。そうすれば、自分が今ここにいる意味もわかるからと。私もそんなエンドレスな問答に入り込んでしまうこともあるけれど今日はそんな拡散傾向の思考をぐっと身近な現実に引き戻して少なくとも私に愛を与えてくれその恩返しをするという確実なる生きる意味を提示してくれた「両親の幸せ」こそ私が向かうべき一つのベクトルなのだと感じた。そして両親からもらった一人では抱えきれない幸せを両親だけではなく少しでも多く世の中に還元しなくてはいけないのだという感覚もなんだか自然に体の中から沸いてきた。明日も、私の頑張る源となる両親の為にガンバろう ^^