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「父上、如何なされた。こんな夜更けに。お体に触りまするぞ。」 新八郎は老いた今にも折れてしまいそうな父の痩せた肩を抱えてそう問いただした。 「殿に、殿にお目通り願って来る。お目通り願って...」 「どうした、新八郎」 「おお、兄上。父上が殿にお目通り願いたいと仰せで、床を抜けて今にもお城に向かわれそうなご様子なのでございまする。」 宗貞は弱りきった父親の顔を見つめ、 「父上、その様なお体では無理でござる。今しばらく養生下され。春も近うござる、暖かくなれば、この宗貞がお共致します程に。」 老い、病の床に伏せてはいるものの、かつては矍鑠(かくしゃく)として戦場を走り抜け、鬼道源と言われた道源寺貞行は、乳白色に光る月を見上げた。 「おぬしらが何と言おうが、殿にお目通り願いたい。」
夜はさらに更け、同じ月が昨晩から降り積もる雪を煌煌と照らす庭に、部屋の灯りを映しなから、一国一城の主となった重宗は、長い戦で疲弊した領民や財政状態に関する報告書に丹念に目を通していた。 「殿、殿」 重宗は庭先から呼ぶ声にふと気がつき、訝しがりながらも庭に通ずる廊下に足を下ろした。 「おお、爺ではないか。もう体はよいのか。病を得たと聞き及んでいたが、心配しておったぞ。」 「なんの、なんの、この鬼道源、口うるさい倅どもの目を逃れて、今宵、一目でも殿にお目通り願いたいと、雪道を参った次第で。」 「爺ならばいつ何時であろうと予は構わぬが、こんな夜更けにまたどうした事じゃ。ここは冷える、ささ中に。」 貞行は主君の勧めにもかかわらず、庭を望む廊下の上に腰を下ろし、月光と雪の明かりで白む一面の銀世界に目を向けた。 「若、久しぶりでござりまするなぁ。あの時も雪降り積もる景色を眺めながら、戦の合間のわずかなひと時を若と一献酌み交わしましたなぁ。この月夜を見て、若と無性にまた杯を交わしたくなりましたのじゃ。」 重宗も同じく廊下に腰を下ろし、庭を眺めその時の事を思い出していた。 「覚えておるぞ。まだ初陣間もない頃であった。若輩の予が手柄をあせるあまりしでかした大失態を、その時爺は鬼道源の形相で諌めてくれたのであったなぁ。」 「若、それを言われますな。しかし、その後若も立派になられ、今では一国一城の主でござりまする。この貞行もう思い残す事はござりませぬ。」 「これ爺、不吉な事を申すでない。しかし爺、もういつまでも若はないぞ。」 「申し訳ござらぬ。殿とこうして昔の話に興ずるとつい若とお呼びしてしまいますのじゃ。しかし若、いつまでも爺じゃござりませぬぞ。」 「いかにも。」 重宗はそう言い、だんだんこみ上げる可笑しさに堪らず、腹の底からこみ上げて来る笑いに堪えきれずについに大声で笑い始めてしまった。 鬼道源もいつしか大声で笑い始め、二人はいつ果てる事もなく笑い続けていた。
「お恐れながら申し上げます。」 廊下のはずれから側付きの家臣が怪訝な上目遣いで仰ぎ見ながら、声をかけて来た。重宗は立ち上がり、何事かと歩み寄った。家臣は重い口を無理に開こうとするかの様に、一語一語を絞り出す様に言った。 「先の刻、道源寺貞行様がお亡くなりになられました由にござりまする。」 重宗は訳がわからず、 「戯けた事を申すな。爺なら先程からそこに.....」 と言い振り向いた重宗は、廊下の中程でこちらを見ながら先程の笑いをまだ口元に残しながら月の光に溶け込むように消えて行く貞行の最後の姿を見送っていた。
「爺、そうであったか。爺、じ...」
「酒を持て」
重宗は元いた廊下に戻り、先程まで座っていた場所に座り、相変わらず照る月を見上げてつぶやいた。 「今宵は二人だけの宴じゃ........爺」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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