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テーマ:暮らしを楽しむ(314261)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
幸せな成功者さんのおっしゃることには。
たとえば あるご夫婦があったとして。 旦那さんが「いい夫」であるか 奥さんが「いい奥さん」であるかは、 パートナーがどんどんかっこよくなってゆくか。 パートナーがどんどんキレイになってゆくか。 で、分かっちゃうのだそうです。 ![]() 年末にとても欲しくなった食器があったことを、もはやすっかり忘れていることに気づく今日。 *************************************** 人というのは、基本的に。 「ネガティブ」なことの方が覚えていられるそうなのです。 3日前のお昼に何食べたっけ?は思い出せなくても、 たとえばそれが「カレーうどん」で、 それが「とっても美味しかった!」というだけでは 意外とすぐに忘れちゃうそうなのですが、 「そのカレーうどんのおつゆがお気に入りのシャツに飛んだ」という場合は 人は「3日」はおろか、 何年経とうと覚えていられるのだそうです。 忘れようにも忘れられないのだそうです。 確かに!! (笑) おっと話がそれました。 戻しましょう。 ![]() 直近の最後に買った食器はこちらです(2019年9月)。直近が、1年4ヶ月前!(笑) *************************************** パートナーがどんどんかっこよくなってゆくか。 パートナーがどんどんキレイになってゆくか。 この言葉の素敵なところは、 「もともとの器量や容姿がどうであるか」は関係なく。 「他の誰かと比べて」というお話なのでもなく。 「外見や見た目の話」なのでもなく。 ある時点のその人と比較して、 より素敵な人となっているかどうか、なのだ、というところ。 また(残念ながら)その反対と感じるかどうかというお話なのだ、というところ。 自分自身を振り返ってみて。 あるいはパートナーをじっと眺めて。 果たして一体どう感じるでしょう、というところ。 ![]() もうね、これは。 究極的な身内贔屓でも構わないのだろうとわたしは思うのです。 その判断を、 パートナーと本人さんだけに委ねることの許される世界。 ![]() ちょっとだけわざと残しておいたラタトゥイユは翌朝のご馳走。朝が楽しみになる残り物(笑) *************************************** 「うちの旦那さん、年々かっこよくなってゆくわ」 「うちの奥さんって、どんどん可愛くなってゆくよな」 口に出す出さないは別として。 互いの思いというのは、 いつも一緒におりますれば、 何気ない会話に、表情に、そして眼差しにあらわれます。 自分が相手からどう思われているか、 どう扱われているかを知るのに、 「眼差し」というのは・・・ときに言葉以上。 たとえ罵倒し合ったことが1度もなくたって。 「大きなため息」と「冷たい眼差し」だけで、 相手の心を深く傷つけることはできますから。 ![]() たとえば 旦那さんのお腹がちょっとどころではなく出てきても。 奥さんに、年齢による様々な生物学的変化が生じても。 そういう美的基準とは関係なく。 もちろんちょっとは関係するんでしょうけれど(汗) そこはおそらくあまり重要ではなく・・・ パートナーとの心の距離が。 年を追うごとに確かな結びつきとなってゆくのか、 少しずつ離れていってしまうのか、 ということなのかもしれません。 ![]() 長年連れ添って、古キズも好きになる。「食器」も「夫婦」も、そうあれたら素敵ですね。 **************************************** そんな、本来 夫婦間でしかわからない極めてパーソナルなことが、 どうして傍目にわかるの? といったら 「どんどんかっこよくなってゆくか。」 「どんどんキレイになってゆくか。」 で、分かっちゃうのだよ! ということなのですから。 心の充実度や満足度というのは、 それが「真実」であるならば (←ここ!) その人の顔に、姿に、振る舞いに、雰囲気に・・・ 「黙っていても滲み出てしまう」 ということなのでありましょう。 ************************************** 人というのは、基本的に、 「ネガティブ」なことの方が覚えていられるそうです。 つらいできごとや、 愛するものを失ったできごとというのは、 ネガティブなことに他ならないのだけれど。 その経験が、やがて大切な誰かのために、 今、真っただ中にいる人の役に立つことができたとき、 その意味合いが変わることがあるのだ、ということを わたしは知りました。 わたしにこの経験がなければ、 その悲しみを理解することはできなかった。 本当の意味で気持ちに寄り添うことはできなかった。 気持ちをわかる「ふり」、 寄り添う「ふり」しか、 きっと、できなかっただろう。 あの経験があったから、今のわたしがある。 心の底からそう思えることで・・・ 「氷のようなネガティブな記憶」は、 自分の人生になくてはならない「大切な記憶」となってゆく。 わたしの大切な一部、となってゆく。 いえ、なっていた。 ああ、悲しいできごとは、 長い時間をかけて、 わたしの中でこうなってくれていたんだなあ、と。 ![]() クロワッサンを美味しく見せてくれる白いお皿。大きなお皿は「パンくず飛び散り対策」にも。 **************************************
元気で可愛い大人気ブロガーさんが。 「本当に幸せな人って幸せってアピールしないよね」と仰っていて。 ああ、本当にその通りですね。 幸せって、声高に叫ぶことではなく、 誰かにアピールすることでもなく、 黙っていても、 それこそむしろバレないように隠そうとしたって 「自然とにじみ出てしまう匂い」 のようなものなのだと思います。 それは「自信」と、どこか似たものなのかもしれません。 幸せな成功者さんたちは、それをご存知なのでしょう。 「どんどんかっこよくなってゆくか。」 「どんどんキレイになってゆくか。」 幸せも自信も、そういう形で顕在化してしまうのだよ。 隠しても無駄だよ、滲み出ちゃうんだから、と。 ![]() この数がちょうどいい。服の数の「適正数」とも・・・そういえば似ています。 *************************************** いつもいつも順風満帆なことだけが幸せなのではなく。 その時はまったく幸せとは思えなかったり むしろとても辛かったり苦しかったのだとしても。 怒りに震えたり、涙が止まらない夜があったとしても。 いろんなことが起こって、 それを受け入れて、乗り越えて、 わたしたちは生きている。 それがいつか「大切な記憶」「その人の一部」となった時・・・ その経験で得た何かが、やがて自然とにじみ出てしまった時・・・ 「なんかかっこいい」とか、「なんかきれい」とか、 それはそういう「匂い」として、ふわりと伝わるものなのかもしれません。 ![]() このエプロンもまもなく1年です。ダメになったなら、また同じのをわたしは買うと思います。 ************************************** カレーうどんのおつゆが 新品のシャツに飛んで、しばし咽び泣いたとして。 それを機に本気でシミ抜きの方法を調べたり、 「クリーニング屋さんに駆け込む」だっていい。 ちゃんときれいにすることができたなら。 「シャツにカレーが飛んだネガティブな思い出」は、 「カレーのシミなどもう怖くないぞ!」という自信へと姿を変え、 カレーうどんの味をすっかり忘れてしまったその後も、 脳裏に刻まれ続けるのでありましょう。 カレーうどんのせいで! カレーうどんを許さない! 絶対に忘れるもんか!!! と。 鬱々と恨み続け、 自分をずっと苦しめるのではなく・・・ね ( ´▽`)ノ **************************************** 起こってしまったできごとには きっと。 本当は「良い」も「悪い」もなくて。 どんな風に記憶するかは。 そこにどんな意味を持たせてゆくのかは。 いつも わたしの。 そして あなたの。 「心の方向」「捉え方の方向」次第、なのかもしれませんね。 これからの時代は、 幸せの実感も「二極化」してゆくと言われます。 「いい眼差し」になってゆけるかゆかけないか、の、これは大きな「分かれ道」。 自分で選ぶことのできる、 暮らしのいたるところに存在する「チャンス」。 とても大切な分かれ道、なのでありましょう。 おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ カレーと同じくらいトマトソースも飛ぶよね ヽ(;▽;)ノ のポチッと、ありがとう。 にほんブログ村 食べている時よりも「作っているとき」によく飛ぶのがトマトソースな気がします。 ふつふつと沸いてきたときが最も危険で、袖口めがけて、めっちゃ飛んでくるよね! 読者登録をしてくださっている1013名ものみなさま・・・いつもありがとう。 あなたとあなたの大切な人が、 今日もどうか安全に、そしてお健やかにお過ごしになれますように・・・ ![]() :
最終更新日
2021.01.28 06:58:04
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