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秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.04.26
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地方の小さな工場が、苦労して優秀な電子工学の学生を採用して、世界初のクオーツ式腕時計を開発するまでの話で大変興味深く視聴しました。

もう少し詳しく知りたいと思い、Wikipedia、YouTube等を調べました。この会社は現在のセイコーエプソンで、当時は諏訪精工舎でした。セイコーの看板があるので、全く知名度の無い会社とは言い切れませんが、高度成長初期に地方の小さな会社が人集めするのは大変だったと思います。また、学生を地方の無名な会社に送り出すまでの教授の決断もなかなかだったと思います。

そのおかげで、腕時計にとどまらず、正確なクオーツ式時計はPCの時刻表示にも採用されるなど、私たちの生活に欠かせないものとなっています。

番組中、地方に工場があったからこそ、余計な情報や雑念が入らず、成功したのではと会社の方が話されてました。忍野のファナックもそうですし、成功の秘訣の一つかもしれません。

今回日本経済新聞の記事を読んで、セイコーエプソンはセイコーグループ中核3社の1つではありますが、中核のセイコーホールディングス株式会社の時価総額が4/26現在886億円なのに対し、セイコーエプソンは7157億円と地位が逆転しており、時の流れを感じました。

セイコーといえば下町には以前錦糸町と亀戸に精工舎の工場がありました。諏訪も含めて今回その関係がわかってすっきりしました。

ちなみに亀戸の精工舎跡地にカメイドクロックというショッピングセンターが4/28にオープンします。そのうち行ってみようと思います。





■参考リンク
プロジェクトX4Kリストア版選▽田舎工場 世界を制す クオーツ・革命の腕時計:NHK
1日の誤差わずか0.2秒というクオーツ腕時計。諏訪の時計店店主と若手技術者が開発に挑む。アメリカで誕生したクオーツ時計はタンスより大きいもの。どう小型化するか。
世界初のクオーツ腕時計の誕生物語。舞台となったのは長野県諏訪。かつては日本一の生糸の町だったが、化学繊維の登場で壊滅的な打撃を受けていた。「諏訪を東洋のスイスにできないか」地元の時計店店主が発案する。目指したのは限りなく正確に時を刻むクオーツ腕時計。電気を流すと振動する水晶の性質を利用したものだった。すでにアメリカにクオーツ時計はあったがタンスより大きなもの。どう小型化するか。耐久性も課題となる。
【司会】国井雅比古,久保純子,【語り】田口トモロヲ

Wikipedia:クォーツ時計
クォーツ時計(クォーツどけい)とは、水晶振動子を用いた時計である。水晶時計( Quartz clock/watch)または単にクォーツとも。20世紀後半から普及し、それまでのぜんまいばねを使用した手巻や自動巻時計に代わって、現在最も一般的な時計となっている。ぜんまいばねに代わる駆動としてステップモーターを使用しており、電源が必要なため電池が内蔵されている。 従来のぜんまいばね式時計のデザインを踏襲したアナログ時計のほか、同じく電源が必要な液晶やLEDを時刻表示部に採用し数字で時刻表示したデジタル時計がある。
歴史
1921年、最初のクォーツ水晶振動子がWalter G.Cadyによって開発された。1923年、イギリス国立物理学研究所のD.W.Dyeとベル研究所のWarren Marrisonは水晶振動子による精確な時間測定を行った。1927年、最初のクォーツ時計がベル研究所のWarren MarrisonとJ.W.Hortonによって作成された[3][4]。しかし、当時は能動素子に真空管を使用していたためタンス並のサイズになり、研究機関や放送局での利用に限られていた。1932年、クォーツ時計によって地球の微小な周変化が計測された[5]。アメリカ国立標準局(現:アメリカ国立標準技術研究所)は、1930年代から1960年代の間、原子時計に取って代わられるまでは、クォーツ時計を用いて標準時を定めていた[6]。クォーツ時計が一般に広く使われるようになるには、半導体デジタル回路が安価に利用できるようになる1960年代を待たなければならなかった。
一方、日本においては、1932年に従来型より温度係数がはるかに小さい(10-7/℃を達成した)Rカット式水晶振動子が古賀逸策によって発明された[7]。またセイコーは早くからクォーツ時計に注目しており、1958年からクォーツ時計の開発に取り組み[8]、1964年の東京オリンピックでは壁掛け時計並のサイズ(縦20cm×横16cm、厚さ7cm、運搬用のケースを含めた総重量がわずか3kg)まで小型化した時計を大会公式時計として提供[9]、実用に耐える技術水準を達成した。その後クォーツ時計は、価格は高価だったものの船舶用など、特殊分野向けの市販製品として販売された。
1967年、世界初のアナログ回路を用いたクォーツ腕時計のプロトタイプが登場した、スイスのCentre Electronique Horloger(CEH)によるBeta 1[8][10]、および日本のセイコーによるアストロンのプロトタイプである[8]。
しかしながら、超小型化と強い対衝撃性が求められる腕時計ではクォーツの実用化は難航した。世界初の市販クォーツ腕時計は1969年のセイコーによる「アストロン」であった[11][12]。当時の価格は45万円と、中型乗用車並みの価格[13]であったが、その後急速なコストダウンが進んだ。
1970年代にはセイコーが特許を公開したことで各メーカーがクォーツ時計の製造に参入し、市場を席巻してクォーツショックと呼ばれる現象を引き起こした。この時期はクォーツ時計の低価格化が進んだ一方、スイスをはじめとする欧米の時計メーカーは機械式の腕時計が売れなくなったことで大打撃を受け、特にアメリカ合衆国の時計産業はほぼ全滅状態に陥った[要出典](クォーツ危機(英語版)とも呼ばれる)。

Wikipedia:精工舎
株式会社諏訪精工舎(すわせいこうしゃ)
1942年に第二精工舎の関連会社の有限会社大和工業として創立。翌1943年に第二精工舎が工場を諏訪市に疎開。大和工業の協力、地元の支援などもあり、第二精工舎諏訪工場は、終戦後も諏訪市でのウオッチ製造を続けた。1959年に大和工業を母体に第二精工舎諏訪工場が吸収され、株式会社諏訪精工舎となる。1961年に子会社として信州精器株式会社を設立。1982年信州精器がエプソン株式会社に商号変更。1985年に諏訪精工舎が子会社のエプソンを吸収合併し、セイコーエプソン株式会社となる。現在もセイコーウオッチ向けに腕時計の開発・製造を行っている。服部家とその関連会社が大株主でセイコーグループに属している。ウオッチ事業ではグループ各社と協力関係にあるが、セイコーホールディングスやセイコーウオッチ、セイコーインスツルからは独立した企業である。「エプソン」のブランドが浸透しており、公式の企業名を記す場やウオッチ事業以外で「セイコー」の名を用いることは稀れである。2003年に東証1部上場。

Wikipedia:セイコーエプソン
セイコーエプソン株式会社(英語: Seiko Epson Corporation)は、長野県諏訪市に本社を置く情報関連機器、精密機器を手掛ける電機メーカーである(登記上の本店は東京都新宿区にある)。略称・ブランドは「エプソン(EPSON)」。
インクジェットプリンターを始めとするプリンターや、プロジェクター、パソコン、スキャナーといった情報関連機器、水晶振動子(クォーツ)、半導体などの電子デバイス部品の製造、さらに産業用ロボットの製造を行っている。また子会社ではないものの、セイコーホールディングス株式会社、セイコーインスツル株式会社とともに「セイコーグループ中核3社」の1つとされ、SEIKOブランドの各腕時計の開発・生産も行っている。また、現在では、オリエント時計の事業を統合し、オリエントスターやオリエントブランドの腕時計の開発・生産・販売もエプソンで行っている。

クオーツ腕時計を作った人たち

日本経済新聞:「工場」軽視が招いたセイコーの落日産業部編集委員 安西巧コラム(ビジネス)2010年5月18日 9:00
抜粋
 この第二精工舎は1942年に長野県諏訪市の下請けメーカー「大和工業」と契約を結び、同地で腕時計の製造を始めた。戦火が激しくなった1944年には第二精工舎が会社ごと諏訪に疎開して諏訪工場を開設。戦後、大和工業と諏訪工場が合併して「諏訪精工舎」となり、これが1985年に社名を変更して「セイコーエプソン」となる。
現在エプソンの主力製品となっているインクジェットプリンターはもともと東京五輪の際、計時結果を即座に知らせるために開発した印刷機に由来する。諏訪精工舎は1968年に世界初のミニプリンターを売り出し、「EP-101」という製品名をつけた。その「EP」の「SON(息子)」という意味で「エプソン」という呼び名が生まれた。1969年に世界初のクオーツ式腕時計「セイコーアストロン」を開発したのも当時の諏訪精工舎である。
セイコーHDの株式時価総額は約430億円(14日終値)。一方、「三男」扱いだったセイコーエプソンは約2900億円で、いまや「生みの親」の7倍近い企業価値を有している。セイコーグループは企業同士に相互の資本関係が希薄で、服部一族個人やその資産管理会社が各社の株式を保有して関係を維持してきた。
アナリストの中にはこうした「資本政策」の不在が求心力を弱め、グループの発展を阻害してきたと指摘する向きもあるが、見方によっては、株式の持ち合い関係がなかったからこそ買収ファンドなどの餌食にならなかったともいえる。セイコーHDがエプソンの親会社だったら、株価低迷を機に買収攻勢が強まり、80代のトップが何年もぬるま湯状態の経営を続ける暇(いとま)はなかったはずだ。





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Last updated  2022.04.27 07:04:38
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