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カテゴリ:令和の歴史散策
青森市で連泊のシティホテルから近い三内丸山遺跡は今夏で世界遺産に登録される。昨年の予定がコロナ禍の影響でやっと叶った見学。緊急事態宣言が解除され色んな事が目白押しだった6月下旬、フッと時間が空いた。
(↑)開館時間前に到着した他の方々とテーブルの席について待つひと時。興奮気味に語るマダムのパーティが居たりタクシーで乗り付けたソロマダム・・館内ではガイドさん待ちの列にトップで並んだ15分間。 (↑)大きな建物の反対側に抜けると其処は縄文時代のムラ・・・ (↑)空気が違う。いつもの様に空を見上げ縄文人もこの空を見た事にロマンを感じる。 (↑)掘立柱建物。復元物は少ないけど要所要所に昔のままの遺跡を保存している建物がある。 (↑)竪穴建物の内部は函館の大船遺跡等(一緒に世界遺産登録)と似ている。 (↑)三内丸山遺跡が凄いのは大型の住居がある事。 (↑)保存建物の中には直径が1メートル以上の栗の柱のレプリカ。本物は本館で展示されていた。 (↑)栗の樹が植えられていた。 (↑)使途不明らしい大きな塔。奥は温度調整された保存建物で見学出来る。 (↑)これが大型掘立柱建物の復元。余りにも大きくて・・・ (↑)その内部は出入口が複数。 (↑)保存建物の中で見た地層。土器、石器、土偶が1000年分埋もれている。 (↑)最後に小高い所から眺めたムラの全景。此処は八甲田山から続く緩い丘の端に当たる。あの道も縄文人が歩いたままを再現し40ヘクタールの場所に大小800棟ほどの円形集落があったとされる。さて次は館内で展示物を見学。 (↑)縄文時游館内は広くシアターあり展示物も多い。高さ4メートルの壁に土器がビッシリ! (↑)縄文犬 穏やかな性格だった縄文人に飼われていたのかと想像が膨らむ。 (↑)此処なら土偶のガチャガチャもきっと有る!・・・そして売店で発見。が・・以前と同じ縄文の女神が出て来たので子供の様にリトライ。今度は縄文のビーナスが出た。更にJOMONと書かれたTシャツを購入(笑)。栗のソフトクリームも食べてみたかったけど甘党でないのできっと捨てるよと主人に言われ我慢した。 ガイドさん曰く・・・縄文時代前期から中期(5900年~4200年前)の大規模な集落跡は野球場建設がきっかけで発見されたとの事でした。この開口一番の説明に嚙みついたマダムが居て全く先に進まず汗。開館前から熱くなっていたマダムだった。その後もガイドさん攻撃が収まらないマダムに嫌気がさし早々、自由見学に相成りました。タクシーで乗り付けたマダムも呆れて離脱。公共の場でボランティアガイドさんに対してイカガナモノカト。あのカミツキマダムの声はその後、1万年もの間、争いが無かったと言われる狭い縄文のムラをずっと漂っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.27 10:42:38
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