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カテゴリ:評論・エッセイ
『欧外の子供たち』森類
やっと手に入った森欧外の末っ子による結構な暴露本。 いやあ噂にたがわぬ面白さ。 欧外のやさしさを一番受け継いだ、愛すべき人物だよ。ハンサムだし(笑)。 長男で医学博士の森於菟の写真も見たことがあるけど、母親が違うのにやっぱり似ている。 明治生まれの日本男子には珍しい、まっすぐ通った鼻筋、瞼に影が落ちる鼻上隆起。 でもやっぱりこの末子は、物書きとしては大成しなかっただろうな。文章もとりたてて上手くもないし、森茉莉みたいな強烈な個性の文調でもないし、要するに森家の末子としての記憶、記録だけが貴重なんだ。 それにしても、あれだけ長くダラダラと絵の勉強していただけあって、観察力というか、幼いころの思い出がすごい鮮明。おそるべき記憶力! 欧外の死の前年に、家族で日在の別荘へ行った時の記憶なんて、映画を見ているようだったよ。10歳で父の死に遭遇し、ショックを受けるも、直後にもらったアイスクリームが嬉しかったとか、はっきり覚えているんだよね。 勉強が嫌いで、小学校をさぼって姉の通う東洋英和(今の聖心?)に遊びにいっているうちに、女子だけの学校でおねえさま方に可愛がられ、欧外は「そんなに杏奴のそばにいたいなら」と、杏奴を類が通う公立?の小学校に転校させちゃう。いいのか!? そしてやっぱり母・志けが傑作だ。もう何から何まで破天荒すぎる。この人は頭で考えていることが直接音声となって出ちゃう人なんだな。 以前読んだ森類の評伝に、類があまりに勉強ができないから、母親が「いっそ頭に病気がありますように」と祈る場面があったけど、これには続きがあって、病院行ってどこも悪くないとわかると、欧外の息子がバカであってはならないと思い込んでいるから「死なないかなあ。いっそ死んでくれないかなあ」とか言うのだ。 そして、当時から天下の悪妻と評判の悪かった志けは欧外の死によって、本当に社会から孤立してしまう。子供たち以外、誰も味方がいなくなったのだ。 ところで、森家の人々は、ずっと千駄木の観潮楼に住んでいたのかと思ったら、欧外亡き後は母屋には長男於兎夫婦が住み、志けと実子は離れで暮らしていた。でも類の中学が世田谷と遠かったので、一時渋谷のお屋敷町で借家(志けの実兄の持ち物)暮らしをしている。 この時代の描写が生々しくてすごかった。二人とも絵を習うだけでなく、志けは杏奴に日本舞踊を習わせ、類に家庭教師をつけ、なんとか欧外の子として恥ずかしくない一芸に秀でた子にしたかったのだ。杏奴を嫁にやるなら、まず料理と裁縫だろう! 茉莉だって何もできずに16歳で嫁に行って、お人形でいたら、1月後に珠樹の兄が「茉莉さんにもそろそろ台所に立ってもらいたい」とか欧外に文句言いにくるんだよね。もちろん山田家は女中がたくさんいる資産家の家だが、料理でもなんでも家事って、自分がわからないと女中に指示もできないことに茉莉は気づいていた。だから恥をかくよりはとなにもしない奥さんでいたのだ。 そんな志けの子供にかける執念もむなしく、類は中学を退学してしまう。 働くでもなく学ぶでもなくぶらぶらしている類は、今で言うニートだ。欧外の息子と知りながら、叔父は自分の娘に「あんなやつのそばに近づくな」とか言うし。でも誘ったのはその従姉妹なんだが。 それにしても、金に困らないことはいいことだ。欧外亡き後、志けは子供たち一人ずつに通帳を作って、そこに欧外の財産を均等に振り込んでいた。当時はその利息だけで、十分暮らすことができた。そして10代も後半になると各自、必要な額を銀行から引き出して、毎日芝居だ歌舞伎だ西洋料理だと遊び歩いていたのだ。ああ古きよきディレッタントの時代! 日本にもこういう高等遊民がかっぽしていた時代があったのね。 中学を退学した14、15歳の頃から「革の長いすに座って待っていると、髪をポマードで七三に分けた銀行員から呼ばれ、1か月分の生活費が10分で得られるのである。それは財産から生まれる利子であって、財産そのものは永久に減じない」とかいう生活。まあ、それは後に幻想だったと知るわけだが。 ああ、でも類は恵まれすぎているゆえに大成しなかったともいえるな。 物書きなんて、やっぱり苦労してなんぼだろ。貧苦にあえぐか、病苦で早世するか、少なくとも恵まれた環境であっても、欧外は家族仲の悪さに悩み、漱石だって躁鬱っぽくて、長生きはしていない。そもそも二人とも本業は別で、小説を書くことで抑圧された自我を昇華させていたんだろうし。 類が思春期になってちょっとは恋なんかもするが、あまりにおっとりしているためにあっさり失恋。そして自慰にふける罪悪感をどうすることもできなくなって、それを母親に告白する。 「要するに女が欲しいんだね」。わかりやすいなあ、ママン。 そして「パッパ(欧外)が、寄宿舎なんかに入れるなと言ったのは、こういうことになるからだったのに。でも手遅れだったね。で、「それじゃあ吉原にでも行っておいで。病気にだけは気をつけて」なんて言って送り出す。そういうものなのか? 本当に容赦のない母親。 そしてやっぱり茉莉! あんたが一番ヘンだよ。わかっていたけど。 パリで夢のような日々を送った山田珠樹との帰国後の結婚生活は悲惨なものだった。自分の産んだ子供に興味がない茉莉は、家政婦と女中に育児をまかせっきり。自分がなにかに夢中になると、子供のことなんて忘れてしまう。 母と弟がお菓子をもって訪ねてくると、子供のための菓子なのに、茉莉はもうそのお菓子以外、何も目に入らなくなる。自分の子供を守ろうとする本能に欠けた女。 茉莉が離婚して帰ってくると、ママンは、まだあとに二人もつかえているのだからと、茉莉の再婚を画策する。 そして東北大学教授と再婚し、仙台へ行くも、「仙台には三越も銀座もない」と暴言を吐き、1年足らずでのしをつけて送り返されてくる。すごいよ茉莉! 志けが亡くなると、残された子供たちはどうなるか。 すべては戦争を境に変わった。新円切り替えで、銀行の貯金は紙くず同然となり、当時は死後30年で著作権が切れるから、もう欧外の印税も当てにできなくなる。 当時、類は結婚して、すでに子供が3人いた。 森類、初めて働こうと思いたった。その時40歳! 姉の紹介で評論社でアルバイトをするも、ろくに校正もできず、おつかいしかできないのであっさりクビになる。その時の同僚のセリフ。 「役に立つ、たたない以前に、君が現代に生きていることが無理なのだ」とか言われちゃう。情けないぞ森類! 妻はけなげにもほそぼそと野菜を作り、鶏を飼い、近所の人には「主人が勤めに向かないものですから」とエクスキューズして、自分の着物を質屋にもっていく日々。ああ~いい嫁さんもらえて幸せだったねえ。 純真ゆえに周囲をふりまわし、それでも許されるあたりは、死ぬまでお坊ちゃまだったんだな。 すでに杏奴は画家の妻となり随筆家として名をなし、茉莉も浅草のアパートでぽつぽつと物を書き始めたころ。 そして本屋を開業。なぜ本屋だったのか。まあ父と縁の作家が多かったし「自分は計算ができないから、掛売りの帳簿は妻まかせ」って、あんた、本当にバカだったんだね。でもやさしい父親だったんだよ。 父泣き後、欧外関連の行事や出版ごとについて声をかけられるのは、長子であり医者でもある長男の於兎だ。類は、欧外の故郷津和野での記念式典にも呼ばれない。身内の恥を暴露したことで、杏奴、茉莉とは絶縁され(茉莉とはその後復縁)、森欧外という巨人の実子でありながら、最後まで陽の当たらない人生を送った森類。 親が偉大すぎると、子供は苦労するといういい見本だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.25 08:11:07
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