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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
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3月14日はどういう日か、映画ファンは覚えておいた方がいいと思う。
元禄14年のこの日、江戸城内松の廊下で浅野内匠頭は吉良上野介に切りかかり、その日のうちに切腹となった。いわゆる忠臣蔵の幕開けである。 この物語は「忠臣蔵」や「赤穂浪士」という題名で何度となく映画化されている。特徴としてはオールスター・キャストでその映画会社の総力をあげた作品として製作されたものである。一時はお客が離れたら、「忠臣蔵」を作ってお客をひきもどすというジンクスすらあったほど。 しかし、時は移り映画会社が映画スターをかかえることができなくなって、この映画の製作は極めて稀となってしまった。 考えてみれば、この映画の製作は映画会社の力量のバロメータともいうべき作品であった。 この作品が作られないということは、スターの不在の証明でもある。 最後にこの題材が映画になったのは「忠臣蔵外伝・四谷怪談」(1994年)が最後であり、その前は「赤穂城断絶」(1978年)である。 2作品共に、かっての映画黄金時代においては、主流になることは期待されなかった深作欣ニという異才によるという点が日本映画のおかれた状況をよく示している。 次に「忠臣蔵」が映画化されるのは、いつ、誰によってであろうか? まさか、タランティーノやフランシス・コッポラではないでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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