「ブラック・サンデー」とジョン・フランケンハイマーという監督について
ジョン・フランケンハイマー監督は、60年代には「新しいアメリカ映画」をリードする監督のひとりであったことは明らか。1970年にキネマ旬報社から出た「世界の映画作家シリーズ」の第2巻は「ジョン・フランケンハイマー、スタンリー・キューブリック、アーサー・ペン」なのである。当時、どれほど注目されていたかよく判る。そのフランケンハイマーが次第に失速するのは、大傑作「ブラック・サンデー」の前後の時期である。実は、アメリカン・ニューシネマが登場して、その斬新さがうすれてきてはいたようだ。フランケンハイマーが何故、失速したのかは、ファンにとって極めて興味深いテーマである。彼のフィルモグラフィーを見ると、「ブラック・サンデー」が最後の話題作である。これ以降、「RONIN」で復活したと言われるまで、映画界で話題の監督ではない。日本でも、もし、「ブラック・サンデー」があの時点で上映中止にならなければ、映画興行の状況やフランケンハイマーへの注目度は、大きく変わっていたのではなかろうか?あらゆる角度から、彼の失速について考えてみたい。