テーマ:障害児の親として(1425)
カテゴリ:保護者に対して
「担任は選べない」、というのが日本のルールとなっています。
しかし、本当にそうだと思います? 結局は、人間が決めているのですよ。 おたくの学校では、機械が決めているのでない限り、 「思い」を入れることは可能だと思いませんか? 子どもにとって、担任の影響がいかに大きいかを考えると、 あらゆる手段を使いたいものです。 非合法で無い限り、堂々と工作しましょうよ。 クラス編成会議の様子を想像してみてください。 学校や地域によって違いがあるのは、 校長や教頭が主導になるか、現場の先生が主導になるかだけです。 しかし、いずれにしろ、双方の意見や希望は入れられます。 まず、各クラスに分配されるのは、 成績優秀者や、クラスのリーダーになるタイプ。 次に、問題児のグループ。 また、PTAに参加してもらえそうな親も割り振られます。 そんな中に、「思い」を入れることは、十分可能なのです。 すべて、先手必勝です。 クラス割が決まってからでは、遅いですから。 あらかじめ、校長先生や、教頭先生に、ささやくのです。 さりげなく、しかし、しつこく! また、目当ての先生に、ラブコールをしておくのです。 「先生のクラスになりたいわ~~」って。 校長先生も、目当ての先生も、 「わかりました」「任せてください」なんて口が裂けても言えません。 「どうなるかは、わかりません」と言うしかないのです。 でも、たとえば、校長先生の場合、内心、あの親はうるさそうだから、希望を入れておかなければ、とインプットされるのです。 担任の先生の方も、自分のクラスを希望と言われるのは、うれしくないはずがありません。 一人や二人、ちょいちょいと操作できちゃいます。 よく、いじめっこから離れたいと希望を言っていたのに、 また同じにされてしまった、とガックリきている親子に会います。 学校の質にもよりますが、もしかしたら、 希望をアタックする相手を間違っていたのかもしれません。 今の担任の先生のグループでは、効き目がありません。 来年の担任の先生に働きかけなければ。 そうすると、誰がなるかが問題ですが、 これは、学校情報をスパイのように、地道に収集するしかないでしょう。 まあ、校長先生の指導力が抜群の場合は簡単です。 しかし、意外と弱いことが多いので、要注意ですよ。 年明けには、すぐにアタックを開始しなければなりませんから、 今の内に、情報収集をしておくことを、ぜひ、おすすめします。 熱心な六年生の親は、来年の中学校の授業参観にまで行くんですよ。 しかも、担任の可能性が高い、3年生の。 そこで、どの先生がよさそうか、選ぶのです。 すべて、熱意は不可能を可能にします。 1年間、担任のせいで、ひどい思いをすることを思えば、 安い投資だと思いませんか? 私は、経済原理・自由主義から言っても、 担任を選ぶこと、学校を選ぶこと、 これが、教育改革の基本だと思ってます。 先生方は、大反対でしょうが。 ですから、保護者からの働きかけの運動を、 ぜひとも起こしてもらいたいと思う次第です。 ご意見をお待ちしています。 …………… たくさんのご意見ありがとうございます。 kakitamaさんが心配されるように、 多くの親が運動を始めたら、収拾が着かないでしょうね。 しかし、内心、私は、大いに混乱して欲しいと願っています。 混乱の中から、新しいものが生まれてくると。 実は、私は、不登校が増えているのも喜ばしいことだと思っています。 日本の夜明けも近いと。 これを話すと長くなるので、別の機会に置いといて、まだまだ「運動」をする親は極少数ですから、心配はいらないと思いますよ。 また、シュンさんが心配されるように、校長先生に指導力が無い場合ですが、もしかしたら、教頭先生が握っているかもしれませんよ。 何せ、教頭先生の方が、在任期間が長いですし、実務的なことにタッチしていますので。 明日は、同様に、学校を選ぶ方法について考えてみたいと思います。ご意見やアイデア、実績がありましたら、情報をお願いいたします。 ところで、後任の先生、2日目の問題のクラスは、……。 何と、何と……見違えるような静かさに包まれています。 新しい先生、 職員室では、弱音タラタラ、不平不満タラタラですが、 子ども相手の指導力には、すっかり感心してしまいます。 とくに、物語を語るのがうまくて、私も聞き惚れてしまいます。 のどにポリープができていて、大声を出せないのですが、 それでも惹きつけることができるんですね。 また、「テレパシー」を受けとめるという特技?を使って、子どもの集中力を高めているのも、さすがでした。 つくづく、マジメと仕事力は、別物だと思い知らされます。 教師の世界は、技術の固まりです。 技術を身につけた人と、もってない人、 残念ながら、竹槍とミサイルの違いです。 それだけに、担任選びが重要ですね。 教師が教師を管理・評価する限界も感じますね。 教師という幾重にも、守られた身分を、 自ら危うくすることなど、不可能です。 実は、新しい学級運営もうまくいかなければ、 保護者に協力を求めて、教室に入ってもらおうと考えていました。 ところが、今度は、胸を張って、子どもたちをほめてやってください、とお呼びすることになりそうです。 ただし、前任の先生のせいばかりではないことは、明白です。 先生が倒れたことによって、学校全体が危機感をもちました。 こう言っちゃ何ですが、私が一番変わりました。 特定の子にとっては、「泣く子も黙る恐ろしい先生」に変身しました。「相澤先生とだけは勘弁してくれ」 一つは、徹底的なシツケも、当然だ、という雰囲気が学校全体に広まったことで、私も思いっきりできるのです。(体罰はしてませんよ。先日の通りです。) 今日も、ある子が、私が近づいただけで、土下座をして「ごめんなさい。許して下さい。」です。 まあ、何という~~~~~。 でも、どちらかと言えば、私が鬼の役になり、 新任の先生が、女神になった方がいいですもんね。 ………… 何度も言っていますが、 頑張った先生も、いい加減な先生も、 世間からはっきり評価されないなんて 不誠実この上ないと思いませんか? 先生だって、人間なんです。 聖人ではなく、 労働法で守られている一人間なら、 弱い人間であるなら、なおさら、 子どもに与えるアメとムチと同様なものが 先生にも必要なはずです。 そりゃ、校長先生や指導主事の先生などに、評価されてはいるでしょう。 しかし、直接の顧客である、保護者や生徒の評価がないのは、 的はずれではないでしょうか。 もともと、教育界は、生徒を顧客とは見ていません。 指導してあげる、お恵みを与える相手として見ています。 「教諭」ですから。 恵んであげる、指導されるべき相手から、 どうして評価される必要があるのか? というのが、伝統的な日本の考え方です。 教育界は、まだ社会主義の時代です。 早く革命を起こさなければなりません。 子どもたちが可哀想です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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